かきん、と小さく鳴る留め具の音に、少女の身体は震えるのだった。 音の小ささに反して、それはどこまでも響いていくかのような錯覚を与える。 そしてその次に大きく鳴るのは、彼女の心音――何物にも妨げられない鼓動である。 陽が落ちて既に街は暗く、人の気配も足音も絶えて久しい――だというのに、 彼女はそこに、自分以外の人間のあることを、どこかに願ってさえいた。 本物と見分けの付かない人工の星が、少女の髪を、肌を照らしている。 日焼けのない薄ら白い肌は、その眼鏡、二つ結びにした黒髪と合わせて、 彼女の内向的な――陰気な性格をそのまま体現しているようであった。 夜食を買いに出たでもない。急ぎの封筒を出すわけでもない。 二本の針が揃って天を指した今、品行方正な優等生だって外を出歩きはしまい。 まして一糸纏わぬ姿で、地に手をつきながら這うなどということはありえないだろう。 四つ足では視線が低くなる。塀の向こう側は、彼女の側からは到底見えない高さになった。 それでも、上階の窓からは少女の痴態を余すことなく見られるだろう。 誰かがふと、夜景を見ようと思ったら。誰かがふと、煙草の一本でも吸おうと思ったら。 そんなほんの思いつきで、裸の女が犬のように這っている姿は公然の事実となってしまう。 彼女からは確認できない、無数の、破滅までの導火線をつぶさに想像するにつけ、 雌犬の股間は、とろとろと涎を垂らし――道路の色を、より一層黒くする。 見られたらどうしよう。でも見られたくない。だからといってやめられない。 この三律背反は、彼女の歩みを遅々とした、犬よりものろまなものに変える。 眼鏡以外に唯一身につけている犬用の首輪に紐を自ら取り付けてから、 実際に進むことができた距離はおよそ半町といったところである。 風で窓枠の軋む音に、少女は何度も何度も身体をびくつかせ――そのたびに軽く達した。 だが、早く進めない理由は、内心の葛藤の他にもう一つある。 彼女の首輪と紐で繋がれたその先、もう一つの首輪を付けているもの。 横に並んで四つ足で立つ、本物の雄犬――それが、歩く邪魔をするのだ。 少女の家で飼われているその犬は、それがあたかも普通の散歩であるかのようにうろうろと、 見飽きたはずの街を詳しく見て回り、嗅ぎ慣れたはずの電柱の一つ一つに鼻を近づける。 主人の感情など端から気にしていないのか――あるいは、主とみなしてすらいないのか? 事実、ほとんど犬側の意のままによちよちと歩かされているだけの少女の姿は、 完全に彼に従属する存在に成り果てていた。その上、首をぐい、と強引に引かれると、 怒るどころか、理性の欠片もないその力強さに興奮を覚える始末である。 もしどちらかの犬が我慢しきれず声を上げれば――起きる出来事は語るに及ぶまい。 少女の変態的行為につき合わされている雄犬の方は、何もそれを嫌がる風ではなかった。 雌犬が時折身体をびくつかせて甘ったるい雌潮を股間から噴き垂らすのを鼻で感じると、 彼の舌もまただらんと赤く垂らされて、興奮を隠すでもなく息を荒くする。 そして彼女の身体の上に覆い被さって、汗の垂れるうなじをぺろぺろ舐め回すのだった。 それを合図に、少女は背後の犬の方に、自ら尻を押しつけるように上半身を下げる。 彼に、背中側からの土下座を見せるような格好だ。そのまま右手で首輪の紐を引くと、 紐は巻き取り機構によってどんどんと短くなり、一尺にも満たない長さに縮んでしまう。 そこは電灯に照らされた、身体を闇に紛らわせるにはとても向かない箇所である。 夜目を凝らすまでもなく、彼女の姿は周囲の人間に見えてしまうであろうし、 見たとしても、とても現実のものとは思うまい。身重の、臨月を迎えた裸の女が、 雄犬と首輪で繋がれて交尾をしているなど――己の正気をまず疑うはずだ。 けれど、実際に二匹の犬畜生は互いの粘膜を擦り付けて、激しく身体を打ち合わせている。 ぶつかる音も、水音も、隠しきるにはあまりに大きく響いている―― いざ交尾を始めてしまうと、少女は乱暴に犬の性器で膣奥を荒らされている自分に、 惨めさと、それをはるかに上回る興奮とを感じるのだった――息は一層荒く、 ともすれば嬌声が夜の静寂を容易く切り裂いてしまいそうにもなる。 半開きの口からこぼれかける声を舌で掬って押し留め、白い肌を赤くし、 地面に擦れる掌と膝頭に擦り傷を作りながら、少女は何度も何度も唾液の粒を落とした。 その滴の中には――妊娠によって一回りは大きくなった乳房の先、 揺れる腹に押し上げられてぷるんぷるんと躍る色濃い乳首からの母乳も混ざっている。 それらが、人工の光の中で一瞬煌めいた直後に、地面の染みとして消えていくのは、 ある意味において幻想的であり、嘘そのものの光景でもあった。 このような光景を見た場合、良心的で倫理的な人間はどのような反応をすべきであろうか? 夜遅くに出歩くことを咎める?往来で裸体を晒すことの犯罪性を諭す? それとも、君の行為は動物愛護だと酔ったような言動で誤魔化すだろうか―― いずれにしても、それは両者が一つの獣のつがいとなって交わっている、 その現実を覆すには脆弱に過ぎるであろう。そしてまた、少女は実に“理性的”な言葉で、 自分と彼とは、お互いに想い合っているのだから止めないでくれと答えるに決まっている。 なぜなら、彼女の胎にいるのは、まさにその雄犬の精を受けて宿ったものであるからだ。 人と、犬。そこには純然たる種の壁があり、極めて常識的な判断を下すならば、 そんなことはありえない、と、一蹴されるべきたわごとだ。 あるいは、雄の方が己を犬と思っているだけの変質的な男性であるか、 もしくは、雌の方が己を人と思っているだけの思い上がった犬ころで―― 犬に論破された自分は、三軒梯子して回ったせいで悪酔いしているのだ――と、考えるだろう。 だが――夜の闇の中、曖昧で不確かなものが光の下にふと晒されただけであるとするなら。 文明の光、科学の光、そんなものの通用しない世界の出来事が覗いただけであるとしたら。 人と犬との間に、仔のできることがどうしてありえないと言い切れるだろう? 少女は快楽に蕩けた顔で、つがいの打ち付ける腰に、自らの尻を合わせ、 挿入しやすく――より奥へと届くように、甲斐甲斐しく応えるのだった。 雄犬は彼女のその行為によって、あたかも本当の雌犬にそうするかのように腰を振り、 膣内でむくむくと、性器を膨らませていく――その慣れ親しんだ振動を感じると、 少女はまた首輪に触れ、紐の固定を外し伸びていけるようにする。 それは当然、彼が自分にくるんと背を向けて――互いに尻を向け合ったまま、 性器だけは変わらず重ねる、いわゆる交尾結合の体勢を取りやすいように、だ。 雄犬は満足気に、性器の瘤を引っ掛けたまま夜の星を見上げている。 雌犬もまた、彼の性器から流し込まれてくる精の勢いと熱を味わうために、 瞼を閉じ、乳房ごと腹を地面へと押し付け、上半身を傾ける。 ひんやりした地面に顔を寄せると――より一層、足音の有無がよくわかる。 目を瞑っているからなおさら、彼女の耳は周囲の音を拾おうと敏感になっていた。 胎内に動く我が仔らの胎動も、いくつもの心臓がめいめいに打つのも、聞こえる気がする。 自然と少女の頬は緩むのだった――だが、単なる母性で片付けてよいわけもない。 硬い靴の音――によく似た、どこかで空き缶でも落ちた音に、少女は身体を震わせ、 膣内に新たなひくつきを起こした。今日の今日こそ、見られてしまうかもしれない―― 犬の仔を孕んだ自分は、まだ人であろうか?それとも犬になってしまったのであろうか? 声をかけてくる誰かは、自分をどちらで呼ぶのか――ずっと、そんなことを考えている。 人としての終わりが、もうすぐそこまで近づいていることを期待しながら。