「……イェーイ!!ドラーナ飲みます!!」  風に乗って、野獣の如き雄叫びが微かに聞こえてくる。勇者はその絶叫に反応せず、ただ中空を睨んでいる。 「……ッ……コルチカム……いただきます……」  ここは居酒屋「クソ現パロ時空」。勇者は中庭に設えられたベンチに座し、背もたれに寄りかかっていた。 「無事かね」 「何をしにきた」  宙を睨む目の前に、水のペットボトルが差し出される。勇者は水ではなく、その手の主を見上げた。 「水を飲みなさい。二日酔いになっても知らんぞ」 「なんであれだけ飲んだのに、まだ何か飲まねばならん」 「そういうものなんだよ。絡み酒はよせ」  勇者はペットボトルを受け取り、蓋を開けずにベンチに置いた。 「おい君」 「何だ」 「飲めと言っただろう。人の好意を無にするものじゃない」 「お前は魔物だろう」 「屁理屈はやめたまえ」  アテンは凶悪に顔をしかめた。 「これだけぺらぺら言葉が出るくせに、なぜ他の連中とは喋らんのだ」 「何を喋っていいかわからんからだ。どういう答えを期待されている?」  勇者はだるそうに腕組みした。今の彼女の醜態は、誰かから話しかけられる度に酒を飲み、返答をごまかし続けたことが原因である。 「私には何を言ってもいいと思っているのかね?」 「そうだが?」 「ああ、そうかね。特別扱いとは、ありがたい話だよまったく」  アテンは肩をすくめると、ベンチに腰を下ろした。 「戻らんのか」 「退散してきたんだよ。君、酔ったネフェルパトラのたちの悪さを想像できるか?」 「そうか。ならあっちに行け」  勇者は部屋の一つを指差した。時折聞こえてくる咆哮は、その部屋が出所であるらしい。 「エビルソード軍が、プレ新年会をやっているそうだ」 「プレ新年会?何だそれは」 「知らん。お前の仲間だろう」 「……わかった!もういい」  アテンは両手を上げ、降参の身振りをした。 「君の様子を見に来たんだよ。これでいいかね」 「私を見て何が面白い。芸の一つも見せろというのか」 「期待していないよ。水を飲みたまえ」  アテンは片手を顔に当て、ため息をついた。勇者はその隣で、ペットボトルの蓋を開けながら、酒臭いため息をついた。 「酒は……よくないな。こんな危険な飲み物が、何故当たり前に流通しているんだ。どうかしている」 「一時期ウァリトヒロイでは、酒類禁止令が出ていたそうだ」 「へえ……」 「ゴク=アックが悪徳の街になったのは、それが契機だと言うがね」 「そうなのか。妙なことに詳しい」 「長生きすると、色々な事を見聞きするものさ。見たくないものも」  不死者は低く笑い、すぐに笑みを消した。 「すまなかった」 「何がだ?」 「すべきではないことをした」 「心当たりが多すぎてわからん。どれのことだ」 「あの時逃げるべきではなかった」  勇者は水をこぼしながら、つまらなそうに宿敵を見上げた。 「どうでも良すぎて、心当たりのどれでもなかったな……終わったことだ。お前の勝ちだ」 「私はそうは思っていない。君は勝った。私は卑怯にも逃げ出して、君の勝利を辱めた」 「卑怯がなんだ。殺した方が勝ちだ」  勇者はペットボトルを見つめて言った。 「お前がぐずぐず思い悩むのは、四天王になれなかったからだ」 「そんなはずがあるか。馬鹿にしてくれるな」 「いや、そうだ。私がお前に当たり前に殺されたなら、今頃お前は何も覚えていなかったはずだ。手に入れられなかったものが、偶然私と関係していたから、偶然記憶に残っている。お前の執着などその程度だ」  アテンは黙って、かつての宿敵を睨みつけた。勇者も無言で、宿敵の目を睨み上げた。かつての戦いの再演の如く、二者は敵意の視線を交わした。ややあって、アテンが視線を逸らした。 「君は自分の価値がわかっていないのだ」 「価値?そんなものはどうでもいい」 「世間の連中も、君の価値を知らなかった。君は自分の死が、誰にも悼まれなかったことを知っているかね」 「それもどうでもいい。悲しむ者などいない方がいい」 「本当にどうでもいいと思っているのか?それとも、単に私を怒らせたいのかね?」  アテンの声音が怒気を帯びる。勇者も苛立った様子で身を起こした。 「どうでもいいと言っているだろう。今私は気分が悪い。これ以上つまらん話で気分を悪くするな」  勇者は酒臭い息を吐きながら唸り、片手を差し出す。 「改めて勝負するか、アテン。指相撲だ」  アテンは自分の手と、相手の手を見比べる。アテンの手は人間の頭を掴み潰せるほど大きく、勇者の手は人間の標準を外れてはいない。 「……勝てるつもりかね」 「勝つさ」  その言葉と同時に、勇者は目にも留まらぬ速度で、アテンの指をがっしと掴んだ。 「12345678910」  瞬きの間に10を数え終え、勇者は手を離す。 「お前の負けだ」 「おい」 「勝負は一度きりだ」  勇者はにこりともせずに言った。