ファミレスの空調は企業努力のたまものだ、大半の人間が季節によって心地よく感じるように温度設定がされている。  席に通されクロウは良子と向かい合うように座った、ラミネート加工されたメニューには今の季節に合わせたおすすめや、常設されたメニューが所狭しと並んでいる。どれも空腹時にはうまそうに見えるし、そう見えるように経営企業が作りこんでいるのがわかる。気分は洋食だった、普段は食べないというわけではないがレパートリーが中華に寄っている以上食卓に並びやすいメニューは偏る。せっかくだ、普段食べないものを食べようと思うのは人情だ。とはいえ定番は外せない、目の前には同じく食べ盛りがいるのだから、とりあえず2人でゆっくりつまめるものをいくつか選びそのあとは自分のものを選ぼうと決めた。  最近は大手のチェーンは注文を取りに来るシステムではない、タブレットに打ち込み注文をすると届くようになっている。 「とりあえずから揚げとフライドポテト、良子はなんかいるか?」 「えー……考えたんだけど」 「別に、自分で食べる分は食えるだろ、だらだら話すならなんかあった方がいいだろ…ああ、ドリンクバー?」 「まあ欲しいけど…もしかして奢ってくれる流れ?」 「ん?ああ、じゃなきゃ聞かねーだろ」 「え、マジ?太っ腹―」 「へっ、褒めろ褒めろ!今はバイト代のおかげでちょっと余裕あるからな」 「んじゃ、遠慮なく奢られてあげましょー」  言っとけ、と、告げてからメニューを打ち込み送信、数分程度で料理が届く。誰かのためではない、誰ものための料理が。とりあえずと良子に声をかけて立ち上がる、向かう先はドリンクバーだ、店内の奥側に存在する、マシンには複数ボタンがありその中から好きなものを選ぶよくあるシステムだ、選んだのはメロンソーダ、普段まかないでお茶の類はそれなりに出るし自分でわざわざ買ったりもしないからこういう時でもなければ飲むこともない。  氷をグラスの3分の1程度挿れてからジュースを注ぎ込む。緑色の液体が流れ込んでくる、野菜で見慣れた自然の緑ではない、着色料で人工的につけられたエメラルドグリーンはどう考えても食欲がわく色ではないはずなのになぜか美味しそうに思えた。  こぼれない程度に注ぎ席に戻る。  良子がいる、当然だ、良子のはずだ。だが、ふと見えた横顔がどこか良子のものと違って見えた。人違いかと目を閉じて開く、やはり良子だ。何かの見間違いだったのかもしれない、グラスを机に置いてから座る。入れ替わるように良子が立ち上がった。  ひと息し窓を見る。置き去りにしたはずの感覚が再度戻ってくる、今の良子に感じた違和感は何か、とても大事なものを見落としているような気がする。直感が警鐘を鳴らしているきがした。やはりと感じたのは雰囲気だ、快活さがどこか鳴りを潜めている気がする。公園で会った時もどこか歯切れの悪さを感じた、やはり悩みとやらが原因なのだろうか。  もし原因が悩みだったとして、自分はなんと声をかけるべきか。女子との縁はほぼデジタルワールド絡みである以上そっちの事ならばある程度分かるかもしれないが、こちらでの悩みなど聞かされても地蔵になってうんうん言う機械になるほかない。  ふと頭によぎる、もしも恋の悩みなどだったらどうしよう、などと。かけるべきアドバイスなど一切ない、そもそも恋愛しているより今はデジタルワールドの事で忙しい。流石に考えすぎかもしれない。 「ちっ…このクロウ様としたことが」  またムダに考え込んでいる。シンプルに考えればいいはずの事を、 「何百面相してんの?」 「ぅっ、ぉっ!?良子!?」 「驚きすぎ……今日面白いねクロウ」  言いつつ良子が席に座る。うっせ、と返しグラスに口を付けた。プラスチックの軽い感じが唇に来てから冷気、そして甘さ、炭酸の痺れ、順に来る。一気に喉へ流し込むと独特の清涼感があった、少しだけ氷も口に放り込む。奥歯でかみ砕くと独特の触感が楽しい。  ふと、目の前の良子を見た、中に入っているのは無色透明に炭酸、サイダーだろうか、しかし口をつけてない。氷がただ泳いでるだけだ。 「飲まねぇの?」  ついそんな言葉をかけてしまう、やっちまったなと冷や汗をかく。別にいつ飲むかなんて個人の自由だというのにいちいち指摘する必要などなかった。 「え、あ、ゴメン」  どこかばつが悪そうに飲み始めるのを見た。  やはりおかしい。心ここにあらず、とでもいうべきか。何もかもが上滑りしている印象を感じる。居心地が悪い、どちらかと言えば良子も快活の側に含まれる。細かいことを気にしない大胆さ、とでもいうべきか、ある種のおおらかさを持っている女が何かにとらわれている。どう声をかけようか、その思考が中断されたのは次の瞬間。 『オマタセシマシタ』  最近は料理の配膳もロボットだ、円形の檀が3つほどあり、ネコの顔模された赤いLEDがどっと模様で映り人工音声を発している。運ばれてきた料理をテーブルに置いてから元の位置に戻るボタンをプッシュするとまた厨房まで引っ込んでいく。  卓の上にはから揚げとフライドポテトがおかれた、どちらも若い胃袋には軽く入る、特にクロウも良子も食べる方だから一目見た程度なら足りないくらいに思えた。 「んじゃ、いただきます、と」  箸をとりから揚げの1つを取る、誰のものでもない味は万人向けする味だった、特徴らしい特徴もないが不味いなどとは到底言えない。ある意味ノーマルな、どこにでもある味だからこそ次から次に欲しくなる。しっかりと1つ目をかみ砕き、腹に落したところで次を取ろうし、良子の手は動いていない。 「…………良子」 「え、あ、ナニ…?」 「本当は飯食ってから落ち着いて話すつもりだったんだけどよ、やっぱ先に話すか…悩んでることってなんだよ」  奢られることに躊躇する人間としない人間がいる。良子は基本的に後者の人間だ、がめついということではなく人の全員を素直に受け入れられる人間ということだ。だからこそこういう時に気持ちよく支払いを持てるという部分もある。そんな良子が全く手を付けずに意識を飛ばしている、別にそのことを怒るつもりなどクロウに毛頭ない。心配になってしまった、何かよくないものに巻き込まれているのではないかと、あるいはイレイザーなどよりよほど面倒なことになっているのではないかという、そんな感覚。  良子はうつむいたままに少し声を上げてから顔を上げた、何か意を決したかのように。 「ってか、あんた経験あるの?」  その問いかけにあんぐりと口を開いた。あまりにも予想外な言葉に脳の処理が拒んでいる。  目の前にいる女は普段アグモンのX抗体を相棒にデジタルワールドをかける女だ。さらに年下であるから、そんな言葉を自分に投げ掛けられるとは微塵も思っていなかった。  飲み下したはずの安っぽいいメロンソーダを口から吹き出しそうになる。良子は何してるんだという顔をした、腹が立つ。これはお前のせいだというのに。  周囲を見渡す、周りで来てる人間はいそうにない、近くの席には誰も座っていなかった。少し前までいたような気がするが、もしかしたらもう食べ終わって帰ったのだろうか。どちらにしてもこのような話が聞かれないことを少しだけ安心する。 「あのなあ、良子、いきなりそんなこと聞かれたらびっくりするに決まってんだろ」  どこかげっそりとした表情を浮かべながら再度椅子に座りなおす。 「はー……クロウにもそんな殊勝な心あったんだ」  もうデジタルワールドを何度か共に旅をして久しい、その場合他にも仲間はいたが縁のある関係と言っていいだろう。そんな手合いから急に性的な話が飛び出してくるんだと思うわけがなかった。 「ってか、なんで急に」 「クラスでそう言う話になるの、女子だとさ」  強い女である、そんなのはしないと思っていたがそれは見ていない場所では適応されなかったらしい。考えてみればそうだ、デジタルワールドだけが世界ではない、ともにいた時間だけが生活ではない。クロウ自身の高校生活を良子が知る由もないように、その逆もしかりだった。  クロウは良子の現実など何も知らない。  だが、あまりにも今の問いは不自然に過ぎる。 「んで、どうなん?」 「ねえよ」  ぶっきらぼうに答えた、周囲からは不良と思われている。とうに更生したとはいえ一時期の、かつての事を知っている誰かがいたのか荒れていたことはバレている。昔ならばそう言ったものを男性的な個性で格好いいと思う誰かもいただろうがそう言った気風は既に古の気風だ、それがいい、暴力は本来野蛮だ、人間社会で振るわれる必要はない。  だから高校でクロウにかかわろうとするのはある程度面白みのある人間だけど、多義的に男子も女子も。  ふぅん、と、良子が頷いてから飲み物を口に含みストローで泡立てる。 「ぎょーぎわりぃぞ」 「じゃあさ、あたしとどう?」  え、と間抜けな声が小さく出た。柄にもない説教が口から出ていたはずなのに、今まるで場違いな何かが聞こえた気がする。似つかわしくないなどというようなものではない、あってはならないようなそれだ。 「あー…良子、聞き違いか?」 「いや、普通に言ったけど?もっとちゃんと言おうか?あたしとセックスする?ってさ」  時が止まった気がする、それは正しくない、時間は過ぎているからクロウの脳が認識を拒んでいるだけだ。さっき周囲を確認していてよかった、もし今周囲に誰かがいたら色々と目を引いていた気だろう。そうなれば座りが悪い。だが、それ以上にこの状況はもう居心地が悪い。どうして急にこのような話になるのかクロウには見当もつかない。 「いや、いや、いや」  頭を抱えるジェスチャー、あるいは本気で頭を抱えた。 「なんでよー…結構勇気だしたんだけど?」  その様子に文句をつけるのは良子だ。確かに今の言葉は勇気のいることだろう、とは思うが、 「そりゃそうだろうけど…いきなりすぎるぜ」  クロウにとってはこの言葉に尽きる。あまりにも唐突に過ぎた。 「えー、前フリしたよ、さっき」 「それはそうだけどそうじゃねぇって!…いや、まあ、そりゃ別に俺も良子ならいいと思うけどよぉ……」  見る、正直に言えば別に何の問題もない、クロウは男だ性欲がある、見た目のいい女に惹かれて脳みそをサル並みにすることも果てはサボテンまでIQを落すことだってある。デジタルワールドへのかかわりと過去を除けばどこにでもいる健全な青少年でしかない。  目の前の女は、良子はそういった点で見れば本来なら2つ返事で受けてもおかしくない相手な上に、実際何の接点もなければクロウから口説きにいかなければならないほどだ。見た目という点で言えばまず間違いなく美人とかかわいいとか形容され、性格だってかなりいい寄りだ、好物件などという言葉ではすまされないほどの女だ。 「じゃあなんでよ」 「だからに決まってんだろ」  いいか、と、 「俺は別に良子の何でもかんでも知ってるわけじゃねー、そっちだって俺のコト何でもかんでもってわけじゃねーだろ、でもよ、デジタルワールド一緒に冒険してりゃある程度は察するところもあるわけ、良子さ…お前結構乙女じゃん」  豪快な性格と乙女であることは同居する。クロウは知っている、何部かまでは知らないが運動部系に所属しているおかげで太ももがかなり発達していることを気にしているとか、できるのであれば冒険の最中でもしっかりと風呂に入り匂いや肌を気にするところや、葉っぱで水着を作るのはあくまで普段着をなるべく傷めたくないということからなど、繊細で乙女な部分をしっかりと持ち合わせている。そんな女が初めて、それこそ人生においてある種男以上に一世一代になる場合のあることを乱雑に散らすなどとは絶対に考えられない。 「なんつーかさ、俺のこと、マジで好きになってくれてるってんだったら、これまでの集大成だ、覚悟も決めるぜ…だけどよ、付き合うすっ飛ばしていきなりセックスだ、なんてのはやっぱおかしいって俺でもわかるって」  その言葉にしばらく良子は黙ってから、天井を見つめた。 「クロウにバレるレベルで変だったか、あたし」 「ああ、俺にバレるレベルで変だぜ、良子」  良子が自分の頬を両手で軽くたたく、ぱし、と小気味良く音。 「んじゃ、ちゃんと話す――けど」 「けど、なんだよ」  何かを決心した瞳で言う。 「あんた1人暮らしだよね」 「ああ、そういえば言ったことあったっけな」 「じゃあ、あんたの部屋行かせて」 「お、おい…」 「ちゃんと話す、だけど流石にここじゃ嫌だ」 「…………わあったよ」  降参、と手を挙げて良子の意を受け入れることに決めた。話すといった以上良子は話すだろう、そこはしっかりとした女だ。 「じゃあ食おうぜ、コレ残すのは忍びねぇから」 「おっと、そうだねっ!じゃあ奢りなんだし遠慮なくいただきまーすっ!」 「応、食え喰え!」  少しだけいつもの良子に戻ったことに安堵を感じる。クロウも勢いにつられて手を伸ばした、話を聞くときに空腹で聞き逃したなんて最低なことはできない。 〇  ゆっくりと食事を飲み下すと自らが焦っていたことを理解する。考えてみたらいきなり性行為のお誘いは確かにおかしい。だが、と良子は思いながらウーロン茶を飲み、目の前の男を見た。  もしも自分に時間がないと分かったらどうなるだろう、あるいは杞憂で時間はまだまだあるかもしれない。しかしこの考えはクロウにだって適応できてもおかしくはない。あるいはあらゆるテイマーにでも。  気づいたときにおぞけに襲われて、いてもたってもいられなくなった。無理にでも誘うつもりだった、この恐れを解消するために。  今思えばおかしいとわかる、それでもしたかった共有を。できるかどうかではない、この気持ちを伝えなければならない、今考えていることを例え足らずとも伝えなければならない。  少なくとも照れず茶化さず聞いてくれると信じている、クロウは間違いなくいい男だと知っているからだ、冒険の中でたくさん知った。男気とか度量のような概念的なものもそうだが、がさつに見えてしっかりと気遣いできるところなどもある。  何より戦いの相性は思う以上にいいと感じることすらある。火力はあるが守りの力が本分のクロウとルドモン、防御力は持ち合わせているがそれ以上の火力を有している自分とアグモン、つまりちょうど武器と防具、補い合う関係にあるというのがいいのかもしれない。  戦いの相性が人間としての相性ではないかもしれない、しかし少なくとも背中を任せる相手と認識出来る以上、この話ができるのはクロウしかいなかった。 (ねえクロウ、結構本気なんだよこれでも)  伝わるかは分からない、しかし伝えなければならない、たどたどしい言葉であっても、拙い思いであっても。 「そんじゃ行くか…飯って気分じゃなくなったし」  言いながらクロウが立つ。 「なんかごめんね、あたしのほうから誘ったのに」 「いいよ気にすんな、それより先外出てな、支払いして来る」  背をこちらに向けてゆっくりと歩きだす。ふとみたその背中は大きい、思っている以上に男性を感じさせる。あれ、と思った。 (もしかして…マジ、なのかな?)  一足飛び出関係を迫ったが、むしろそれはある種の好意を感じてるからであり、自らの身体を預けてもいいとすら思っているからに他ならない。 (…ま、話してみればわかるか、この気持ちにも)  良子もまた立ち上がる。やや足早に扉の方に向かう、ちら、と見ればすでにクロウが会計をし始めている。  今のご時世は男女平等で、普通に考えれば割り勘をするのが普通だろう。しかし、男性としては分からないが少なくとも年上として見栄を張った男の心遣いに水を差すほど良子は無粋になれなかった。  外は暗い、薄手の服を選ぶほどに汗ばむ気温のはずなのに、今はどこか涼しさすら感じる。  もしかしたら親に怒られるかもな、なんて考えながらクロウの事を待った。