この参政党憲法案は、多くの点で大日本帝国憲法(明治憲法)の精神や規定に回帰、あるいはそれを踏襲しようとしているように見えますが、現代の価値観から見て、大日本帝国憲法と比較してもさらに悪化している、あるいはより露骨に問題があると指摘できる点がいくつか存在します。 以下に主な点を挙げます。 天皇の政治的権能の明確化と潜在的な強化(拒否権の明示): 大日本帝国憲法: 天皇は統治権の総攬者とされ、法律の裁可権も有していましたが、国務大臣の輔弼責任(第55条)があり、天皇が直接政治の責任を負うことを避ける仕組みがありました。天皇の意思が政治に反映されることはありましたが、拒否権を頻繁に行使するような直接的な政治介入は、立憲君主制の運用として抑制される傾向にありました。 参政党案: 第三条で天皇の「裁可」権を定め、注釈(7)で「君主の裁量で許可すること。これにより生じる君主の拒否権のことを veto(ベトー)という。再度の奏請の規定により拒否は一度に限られる」と明確に拒否権(Veto)の存在とその行使の可能性を憲法レベルで示唆しています。 大日本帝国憲法下でも理論上は拒否の余地がありましたが、参政党案はこれをより積極的に天皇の権能として位置づけようとしているように見え、天皇の政治的判断をより前面に出す危険性があります。これは、輔弼によって天皇の政治的無答責性を担保しようとした大日本帝国憲法の運用思想よりも、天皇の政治的役割を強調するものと解釈できます。 より露骨な国民の選別と差別(血統・心情・帰化者差別): 大日本帝国憲法: 「日本臣民タルノ要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」(第18条)とされ、臣民の権利は「法律ノ範囲内ニ於テ」享受できるとされていました。特定の出自や心情による臣民資格の剥奪や、帰化者に対する長期間の権利制限は憲法上明記されていませんでした。 参政党案: 第五条で国民の要件に「父または母が日本人であり、日本語を母国語とし、日本を大切にする心を有する」という血統主義的かつ主観的な基準を導入しています。さらに、第十九条4項で「帰化した者は、三世代を経ない限り、公務に就くことができない」という、大日本帝国憲法にも見られない極めて長期間かつ差別的な公務就任制限を設けています。これは、血統や内面を基準とした国民の選別であり、近代国家の国民平等の原則から著しく逸脱しています。 「公益」による権利制限の曖昧さと広範さ: 大日本帝国憲法: 臣民の権利は「法律ノ範囲内ニ於テ」という形で、法律による具体的な制約が前提でした。 参政党案: 第六条で「個人や団体の利益は...公益のもとに得られることに留意し、その追求は、公益に配慮して行うことを要する」と規定し、注釈(15)で「私益より公益が優先する」と明言しています。この「公益」の定義が曖昧なため、国家権力による恣意的な権利制限をより容易にする可能性があります。大日本帝国憲法の「法律の範囲内」という枠組みよりも、国家の裁量を広げ、権利保障を脆弱にする恐れがあります。 極端な財政規律の放棄(通貨発行による財政調達の原則化): 大日本帝国憲法: 財政に関しては帝国議会の協賛が必要とされ、一定の財政規律が存在しました(第62条、第64条など)。 参政党案: 第三十条1項で「財政は...通貨発行により資金を調達することを原則とする」と規定しています。これは、安易な通貨増発によるハイパーインフレーションのリスクを全く考慮しない、極めて無責任な財政運営を憲法で原則化するものであり、大日本帝国憲法下の財政規律の考え方からも大きく逸脱し、国家経済を破綻させかねない危険な規定です。 国際法・国際協調の露骨な軽視: 大日本帝国憲法: 国際法を尊重する姿勢は(少なくとも建前としては)存在しました。 参政党案: 第三十二条2項で「国際機関の決定や勧告は、憲法または日本固有の慣習に反する場合、効力を有しない」としています。「日本固有の慣習」という極めて曖昧な基準で国際的な決定を拒否できるとするのは、国際法遵守の精神を著しく損ない、国際社会からの孤立を招きかねません。これは、大日本帝国憲法の時代よりもさらに内向きで排他的な姿勢を示すものです。 報道・情報への国家統制の強化と外資排除: 大日本帝国憲法: 出版法や新聞紙法などにより検閲や言論統制が行われましたが、これは法律レベルでの規制でした。 参政党案: 第十六条2項で「報道機関は...公正に報道する義務を負う」、3項で「報道及び情報通信に関わる業務は、国営または自国の資本で行わなければならない」と規定しています。国家が「公正」を判断し、報道機関に義務を課すこと、そして情報通信分野から外資を全面的に排除することは、憲法レベルでのより直接的かつ広範な情報統制を意味し、国民の知る権利や表現の自由を大日本帝国憲法下の法律による規制以上に脅かす可能性があります。 教育における国家主義の憲法レベルでの強化: 大日本帝国憲法: 教育勅語が教育の基本理念とされましたが、憲法自体に教育内容の細目や特定の詔勅の尊重が明記されていたわけではありません。 参政党案: 第九条3項で「国語と古典素読、歴史と神話、修身、武道及び政治参加の教育は必修」とし、4項で「教育勅語など歴代の詔勅...教育において尊重しなければならない」と、特定の教育内容や戦前の詔勅の尊重を憲法で義務付けています。 これは、教育への国家介入をより強固にし、思想・良心の自由を侵害する度合いが大日本帝国憲法時代よりも憲法上明確になっていると言えます。 これらの点から、参政党憲法案は、大日本帝国憲法への回帰を目指しつつも、一部の規定においては、より国民の権利を制約し、国家権力を強化し、国際社会との調和を軽視する方向へ「悪化」している、あるいは問題点をより露骨にしていると評価できます。特に帰化者差別や財政規律の放棄は、大日本帝国憲法にも見られない極端な内容を含んでいます。