それは遠目には赤い絨毯にしか見えなかったが、繻子のようにも思えた光沢は、 実のところてらてらと光る体液と粘膜によって生み出された生々しいもので、 さらに一歩近づけば、足元から立つ生体特有の――内臓の香りにも似た――悪臭が、 彼女の白い衣装と、なお白い肌とに染み込んでいく様がよくわかる。 緻密な装飾を施された透け硝子、そこに射し込むどこか神聖さを感じさせる光。 何気なく設置されているいくつもの長椅子も、深い艶を持った上質の木でできている。 そこに、獣の腹を割いてぶちまけたようなものが一面広がっているのだから、 何も知らなければ、そこで屠殺か解体が行われたと思われても仕方ない光景だ。 だが――その赤い絨毯は、中心部にて花嫁衣装に身を包む女を、薔薇の花弁めいて包む。 そして彼女の衣服には、鼻先に揺れる無数の触手から垂れる薄赤い体液の染みなどなく、 それらが意図して、白き雌しべに触れないように全体を統率していることも窺えた。 ――もっと言えば、そこには明らかな知性があったのである。 女は花嫁衣装――というには、大きく開いた襟ぐりやほとんど露出しかけの乳房といい、 下着としての用を成さない穴だらけの透けた下着といい、無闇に長い手袋靴下―― そんな、男を誘うためだけに作られたはしたない衣服に身を包みながら、 彼女の他に人型の何者もない教会内で、顔を羞恥に赤らめていた。 彼女の気質と来歴を思えば、美貌――絹に劣らぬ艶めきの長い金髪、 透けるような白い肌、海のような碧い瞳――そんなものを、 わざわざ無防備に、下劣な獣の前に晒すことなどありえない。 銀河最強とまで謳われた賞金稼ぎなら、さっさとこの赤黒い肉塊を焼き払って、 とっとと星を発っていたっておかしくはないのである――けれど、そうはならない。 彼女と肉塊は、然るべき目的と理由とを持って、この教会にいるのである。 女の腕ほどはある触手のうちの一本が、ゆらゆらと左右に踊るのをやめ、 意を決したかのごとく、ゆっくりと彼女の鼻先にその先端を近づけ始めた。 汗の滴るように、ぽつ、ぽつ、と生臭い雫が床の、本物の絨毯の上に落ちていく。 女もまた、そのおぞましい肉の紐が己の顔の前に来ることの意味を知っていた。 臭いに反射的に――これは肉体の、本能によるものである――目を軽く瞑ったのち、 先端が唇に触れ、嫌な臭いが唾液に溶け込んでくるのを、暴れるでもなく受け入れている。 赤い雫がぽたりと、その豊かで深い胸の谷間に落ちて、血痕のように爆ぜた。 唇と触手の接触は、あたかも普通の花嫁と花婿のそうするように呪術的であって、 そして次に指先の向いたのは、彼女の股間――逆三角形に手入れされた陰毛を目印に、 眼球すらない肉の塊は、彼女の最も侵すべからざるところに挿入っていく。 ぬちゃ――と、やはり少し奥手な動きで腿の上を撫でる新郎に対し、 新婦はむしろ自分から、中腰の姿勢で股を開き、下品にも映る格好で相手を誘う。 それはちょうど、ここに触れてくれと自ら哀願しているかのようにも見える。 唇への接触が花嫁の文化圏における婚姻の儀式であるとするなら、 繁殖に使用する部位への接触は、花婿たる肉塊のためのものであった。 それは、今ここで孕ませてくれと頼むというよりは、彼の流儀に合わせるための行為。 結果としてその胎に子の宿ったとしても、少なくともそれを目的にしたものではない。 彼女が自ら、この赤い薔薇の中に身を捧げることを選んだことの証なのである。 むっちりとした両腿の上に乗った安産型の尻が、絡み合った肉の椅子の背もたれに乗り、 大きく開かれた股に、先ほど彼女の唇に触れたばかりの先端が添えられる。 くち、くち、と何度か入口の具合を確かめたのち、ゆっくりと触手は中へ、奥へと、 彼女の反応を伺うように、丁寧に、優しく――入り込んでいくのであった。 挿入というより、粘膜同士の接触によって相手を知るための行為といった方が近い。 勢いに任せて早く強く膣内を穿つのではなく、先の膨らんだ傘の部分を用いて、 襞の一つ一つを確かめるように、ねちっこく中を調べ上げていく。 そしてある地点に先端が触れた際に、彼女の反応が大きく変わったのを察知すると、 今度はそこばかりを重点的に、加減速を繰り返し責め立てるのであった。 たちまち腰は砕け、口からは普段の凛々しい声色など全く想像させない、 雌臭く、可愛らしい嬌声が無尽蔵に絞り出されてくるだけである。 いつしか肉の椅子は彼女の四肢に絡みついて腰を浮かせられないようにして、 歯を強く噛み締めながら、痴態を晒さぬようにと女は抗うものの、 的確に弱点を突かれ続けて、肌には無数の汗の粒がきらきらと光っている。 そしてぷしゃり、と結合部から一層雌臭い体液が漏れる――当然、尿などではない。 絶頂によって全身の力が抜け 、弛緩した身体にもなお責めは続く。 そしてどろり、と熱いものが――緊張の解けた無防備な子宮目掛けて放たれると、 自分がこの肉塊の花嫁になってしまったのだ、との想いが彼女の胸を埋める。 だがほんの少し感傷的になった彼女の鼻の前に、一本の触手が伸ばされた。 蕾めいた先端は、女の視線が向くやいなやぱっくりと花のように開き、 その内側に隠されていた紐のような部位を、彼女の舌や歯列に絡めて余すことなく舐る。 花嫁はもう、その一本一本をしゃぶるのに夢中になってしまって、 自分の中にあった憂鬱な気分のことなど、すっかり忘れてしまったらしかった。 外見こそ獣の内臓をひっくり返したような姿だが、これはれっきとした知性を持つ存在で、 宇宙共通語の習得はおろか、複数の銀河にまたがる学位をも持つ高等な生命体でもある。 彼は己の醜い外見を恥じて、画面越し、電波に換算された世界でのみ彼女と交流していた。 先程の紳士的な花嫁の取り扱いからもわかるように――肉塊はあくまで、 彼女ほどの美貌の持ち主が、自身のつがい――遺伝子を混ぜ合う中になることを、 初めから期待していたわけではない。むしろ露悪的な感情に背中を押されて、 己の肉々しい姿を見せて、彼女に嫌って貰おうと思ったことも何度もある。 ――その試みは結果的には、外見に縛られない高潔な精神の持ち主として、 既に後戻りできないところまで顔も知らぬ相手に入れ込んだ彼女に火を点けたのだが。 口付けを終えた両者が、夫婦としての最後の宣誓を済ませるために、 誓約書に名を記すにあたって、よくもと思うほどに器用に万年筆を掴んだ一本は、 彼の几帳面さをそのまま字に落とし込んだような美しい文字列を書いた―― 花嫁はその隣の自分の字がどうあっても汚く映ることを恥もする。 さて指輪の交換と相成って――彼のどの部分に通したものか? 女は百や二百できかない、粘液でねとねとの塊になった彼の“指”の中から、 最初に口付けたものを――服と肌が汚れるのも気にせず見つけ出し、それに指輪をはめた。 新郎は美しき花嫁を迎えたことだけで満足して、それ以上を望まなかった。 肉体構造が違いすぎるのだから、子を生すこと自体が不可能であっておかしくない。 しかし彼女の肉体は既に、生まれつきの地球人種の他に様々な遺伝子を取り込んでいて、 そこに一つ新しい遺伝子が入ったところで、問題なく受け入れられる肉体であった。 より具体的に言えば、あの婚姻の儀式の最中、排出された卵子は式中に射止められていて、 新婚生活の開始とともに、彼女の腹部も日毎に大きくなっていくことが決まっていた。 寝室にて、腕の中に眠る彼女の下腹部に触れる指先は――小さな鼓動をすぐに見分ける。 彼は胎生の生物は雌が出産まで体内で子を育てるものだ、ということは知っていても、 いざその現実が生ると、とても信じられないような思いに囚われるのである。 ふっくらと、膨らみの目立つようになった腹を、無数の指が撫でる。 椅子のように絡み合った彼の上で腹部に手を添える彼女の姿は、 ちょうど、同種の雌雄が子について語り合っている光景を幻視させるものでもあった。 黒くなり始めた乳輪も、乳汁にしとしとと湿っている。そこにまた肉の蕾が開き、 無数の舌が――乳頭を、乳首全体を扱き上げながら授乳のための訓練を手伝う。 胎児の姿は早いうちから、両者の肉体を混ぜ合わせたような――赤子の半身に、 赤黒い無数の触手の生えたものであることが明らかであった。 そして授乳の際――純粋な地球人種の赤子よりずっと熾烈な吸い方をするであろうことも。 胸に張り付く、小さく醜い塊。中途半端な白い皮膚と、薄金色の産毛。 泣き声だって、母親であるという前提がなければ耳を塞ぎたくなるような金切り声だ。 けれど彼女は、微笑みを崩すことなく腕の中でのたうつ赤子の触手が指に絡むのも、 それによって自身の衣服がずり下げられることにも、何一つ嫌な顔をしない。 己の胎の中に育った我が子に、自分との強い血縁を感じるから。 妻子二人を載せてなお、平気な顔で椅子の役割を果たしている――夫のことが、 宇宙で一番愛らしくて、たまらなくなっていたから。