キャラクター:「リベンジャー」アテン/ネフェルパトラ
「古来、王墓を荒らした盗人は、最も無惨な刑を受けるものと決まっていたが……」
ざらざらと渦巻く砂塵の向こうから、地響きに似た低音の声が聞こえる。吹きすさぶ風の咆哮の中、その声は不思議とよく通った。
「王を殺しに来た者共は、どんな刑を受けるのが妥当だろうね?」
嵐の唸りを貫いて、濁った悲鳴が大気を震わせる。身の毛のよだつような叫びは一度きり、確かめずともわかる、断末魔の声だ。
「何、私とて、時代が変わったことぐらいは理解しているさ……王の威光も拷問も、すべては過去のものだ」
砂嵐の中から、ぬっと太い手が突き出す。血にまみれたその手は、魚の干物でも扱うが如く、ひしゃげた死骸を掴んでぶら下げている。人相はもうわからなかったが、その鎧は剣士のものだった。つい数刻前まで剣を握っていた手は、もう動かない。
「故に、君には速やかな死をくれてやろう」
「リベンジャー」アテン、死せる古の王は、包帯の向こうから、無表情にこちらを睨めつけた。人を辞めた不死者の、人のものならざる目が、人外の威厳を宿して暗く煌めく。異形の王の姿を目の前にして、胸の内で最後の勇気が、音もなく潰えた。震え始めた手から剣が滑り落ち、微かな音を立てて、砂に突き刺さる。
「剣を取りたまえ、勇者殿」
手は動かせなかった。恐怖に駆られ、後退る。太い足が、ざり、と音を立てて砂を踏む。こちらが後退っただけ前に出た、魔族の巨躯が一度身をかがめ、剣を拾い上げた。ざり、ざり、ざり、剣を片手に巨大な影が、後退れば後退る分だけ、歩み寄ってくる。
「勇者を名乗っているのだろう。何もせずに括り殺されるつもりかね?剣を取りたまえ」
放られた剣は、地面を滑り、靴にぶつかって止まった。怪物の目が、砂塵のもたらす闇の中で、静かな怒りを湛えて金色に光る。
「このアテンが直々に出向いてやったのだ。剣を取れ」
手の震えは止まらず、体までがはげしく震え始めた。両手で挟むようにして、なんとか剣を拾う。汗で濡れた掌が滑らぬよう、柄を押さえつけて腰だめに構えた。大気に混じる砂を舌に感じながら、何度も深呼吸を繰り返す。覚悟を決めろ。こいつだけでも討ち果たす。
「情けない。それで勇者のつもりか」
勇気を奮い起こし、剣を構えて突進する。剣先が届くよりも早く、振り下ろされた長い手の指が、あっけなく喉に食い込んだ。上げた声が喉ごと押し潰され、首の骨がごりっと音を立てる。
「魔王を討とうという者が、私一人と刺し違えるつもりだったのかね……?」
最期の意識の中、哀れみと軽蔑をないまぜにしたような声が聞こえた。
今までの荒れようが嘘のように、晴天の砂漠を横切って、死せる民たちが、王を迎えに現れる。スフィンクスが喉を鳴らし、主に頭を寄せた。アテンは血に濡れた手を、砂にこすりつけつつ、部下たちに指示する。
「送り返してやれ。丁重にな」
ミイラたちが、半ば砂に埋もれた死体を掘り返し、静かに運び出す。青い空と砂の海のあわい、砂漠の彼方に、ぼんやりと蜃気楼が立つ。茫洋と揺らぐ形に向け、アテンは話しかけた。
「こんな半端な殺し屋ばかりけしかけて、自分は手を汚さず、知らぬ顔をしているのか。卑怯とは思わんか、なあ、トットリア」
トットリアは弱い国だ。魔術や技術の欠乏によってではない、その立地のためである。砂漠に隔離されていれば、外部との交流は望めない。土地が限られるため、資源も国民も多くはない。仮に国力を振り絞り、強引に軍を起こしたならば、アテンを討とうが討つまいが、魔王軍が黙ってはいないだろう。戦いがどう進むとしても、その先に生き延びる道はない。
国と国民を護る難しさを、アテンはよく知っている。故に、その判断を責めはしない。ただ軽蔑するのみだ。
「王の首を取るつもりならば、自ら出向くのが礼儀とは思わんかね……」
かつて、ただ一人剣を携え、この首を取りに来た者がいた。その時死ななかったのだから、アテンはもう、誰にも殺されてはやれない。
「ネフェルパトラ様、魔族です!」
「あれは……」
遠見の魔術に映し出された映像の中、地平線の向こうから、しずしずと隊列がやってくる。頭を垂れて喪に服す、それは葬送の隊列。死者を送る死者共とは、なんと滑稽なこと。その棺の中身さえ、考慮しなければ。
「兵士では、ない。手は出すでない……」
棺をいくつも背負ってきたミイラたちは、トットリアと砂漠の境界線で止まり、棺を降ろした。こちらが見ているのを理解しているのか、王宮に向けて嫌味なほど丁重な礼を送り、そして踵を返す。死者の隊列は再び、地平線の向こうへと帰っていく。
「棺を回収して参れ。内容を検めねばならぬ」
女王の声のわずかな震えに、誰か気づいただろうか。怒りと憎悪、そして……安堵。仮に魔王軍が何らかの手段で古代魔術を打ち破り、本気で攻めてきたならば、その日がトットリアの最後だろう。トットリアには、魔族共と、正面から衝突する武力はない。
蓋を開けば、棺の中からは、一種独特の香の匂いが漂う。ああ、やはり。ネフェルパトラには、その葬列が誰のためのものか、棺を開ける前からわかっていた。あの若く、自信に溢れた勇者一行。今のお前たちではあの怪物には敵わない、決して挑むなと、何度となく言い聞かせておいたのに。
「怪物め……」
ネフェルパトラは憎悪を込めて呟く。
「酷い真似を」
棺の中の死体は、生前のままの姿、穏やかな表情に整えられている。同じ手順を、何千回、何万回と繰り返してきたであろう、熟練の職人の手が施す、古式にのっとった防腐処置の結果だ。砂漠の高熱に晒された死体は、処置を施さなければすぐに腐敗する。脱水、薬品処理、臓器摘出……。死体がここまで損壊されていては、蘇生は望めない。
「皮肉のつもりか。死者に敬意を払うことを知らぬのか」
棺の縁を握りしめる。手さえ届けば殺してやる。だがその手が届かない。トットリアは弱い国だ。王族の魔術なくして、サラバ砂漠に蔓延る魔族から、身を守ることができない。それはすなわち、サラバ砂漠に魔物ある限り、ネフェルパトラは砂漠の外はおろか、トットリアの外にさえ出ていかれないということだ。
「なぜ死なぬ、歩く死体」
昔々、うんと幼い頃、砂漠の外を見たいと駄々をこねて、親たちを困らせた記憶がある。その頃の砂漠を知るものは、もうこの世にない。あの古き王を除けば。
「死者は朽ち果てるのがさだめであろう。いつまで砂漠を這いずりまわるつもりだ……」
サラバ砂漠を彷徨う蜃気楼として、ネフェルパトラは三百年を生きた。これからも同じように、三百年を生きねばならないかもしれない。死者の統べる土地で、生きながら死んだように。
思考を現実に引き戻し、ネフェルパトラは唇を噛んだ。まずは、この死者たちを、弔ってやらねばならない。そっと勇者の頬に触れる。紙のようにかさついた手触りは、彼が既に生なき物体にすぎないと伝えた。
「すまぬ。怨むがよい」
若く、可能性に溢れていた、数日前の彼を覚えている。自身が彼らの死の責任の、一端を担っていると、聡明なネフェルパトラは理解していた。多くの勇士が砂漠に挑み、そして骸となって帰ってきた。見ていることしかできないのが、歯痒くてならなかった。
「そなたらの仇を討ってはやれぬのだ。無力な女王を呪っておくれ……」
けれども、彼女は国を背負う立場。いつか、かの魔族を討ち果たす者が現れる日を、王宮の中で待ち続けるしかないのだ。
キャラクター:ダースリッチ/エビルソード/エゴブレイン/ヘルノブレス/「リベンジャー」アテン/オジ=ダハーカ/蔓延る悪意 ブロークン・レギオン/メイドール/コングロード/ワースレイ翁/"鮮血卿"ゴア/ププール/カースブレイド/チャリオットホイール/デモンスピアー/ソツガナイト/G・C・レックス/スピノーヴァー/ギガノートリアス/無敵のスピーシャス/毒猫ギン/イーヤン・ハーレンティ/カゲマル/成り損ない、アレクサンダー/聖騎士ディッカ/光騎士ルミナリア/狂騎士ユゥレル/ヴォルカ将軍/亡剣のアルツァイン/スプドラート/デカパイダイスキ・ベイツマン/軍師ロン・ジャン/暗黒卿レイス/パイシス
神聖歴1203年、ダイラント平原。城塞都市ギリセフは緊張に包まれていた。
大臣イーンボウの警告を受け、人間軍が城塞の守りを固めたのはわずか数日前。果たして彼の言葉通りに、魔王軍の襲撃は起こった、が、その数は人間の想定を遥かに超えていた。
「こりゃあ……」
城塞から望遠鏡を覗き、魔王軍の様子を目の当たりにした者が言葉を失くす。
質量を持つ影のようなアンデッド軍が整然と並び、居並ぶゴーレムの外殻が、陽光に鈍く煌めく。姿、形の様々な魔族共は、地平線までを埋め尽くし、翼を持つ影が雲のようにその上を舞っていた。
「勝てるのか、この数で……」
早くも人間軍の一部は、戦意をくじかれつつあった。
『こちらヘルノブレス軍、現段階では人間軍は視認できず』
「……」
ブロークン・レギオンからの通信に、エビルソードが反応する。
「出ていってはいけませんわよ」
「……」
ヘルノブレスが注意する。エビルソードは座り直した。ダースリッチが苛立った表情で、机を指で叩く。
此度の行軍では、万が一の事態と抜け駆けを防ぐため、四天王は司令部に置かれている。ヘルノブレス軍所属、「蔓延る悪意」ことブロークン・レギオンが、その分身能力を買われ、通信要員として、各軍につけられていた。
ただし、エゴブレインだけは、非戦闘員であるにも関わらず前線にいる。彼自身にしかわからない、ファジーな仕組みの兵器の運用のためだ。
『こちらエゴブレイン軍、通信は良好。人間の姿は未だなし。兵器の状態は……エゴブレイン様?エゴブレイン様、大丈夫ですか?』
「うるさいわいっ!!」
「はい!すみません!」
「申し訳ない、ちょっと興奮していまして」
気が立っている造物主に代わり、護衛のメイドールが詫びる。
「こちらで見たところ、準備状況に問題はありません。問題なく戦闘可能と思われます。多分……」
『こちらエビルソード軍、人間軍接近中。間もなく接敵します』
ブロークン・レギオンの緊張した声に対し、エビルソード軍構成員は至って陽気だった。興奮した囁き、ホイッスルを吹くような遠吠え、武器を鳴らす音、猛々しい興奮が隊を満たしている。
「奴らまとめて皆殺しよ!」
「二度と逆らえないよう叩きのめしてやるぜ!」
「レギオン殿、戦闘参加は不要にござる。エビルソード軍は無敵」
カゲマルが朗らかに言う。
「レギオン殿は死ななければいいだけでござる。そこさえ注意していただければ、後は何も問題はござらぬ」
「あっ……はい……」
ブロークン・レギオンは、とんでもない所に配備されてしまったと内心冷汗を流していた。
ダースリッチ軍にだけは、ブロークン・レギオンはついていなかった。ダースリッチ軍周辺は、生命あるものに耐えられる環境ではなくなっているからである。
ダイラント平原、その日の天気は砂嵐。
温帯に属するこの地域では、ありえない天候であった。ダースリッチ軍の周りだけに、濃く嵐が渦巻いている。
ぱちぱちさらさらと音立てて、砂粒が戦場を打ちのめす。言葉なく進軍するアンデッド共の肌を、獣頭のミイラの乾いた包帯を、雪花石膏でできた、雌雄のスフィンクスの表面を。
先陣に立つのは、「リベンジャー」アテン。かつての砂漠の王が行使する、今では失われた魔法が、砂嵐を巻き起こす。
『いいか、起きたこと全てを報告しろ。必ずだ』
「わかっているとも、『ダースリッチ様』」
通信魔法の向こう、ダースリッチの声に、アテンは煩わしげに答えた。
「……ふん、相変わらず臆病なことよ」
アテンは不快そうに喉を鳴らした。サラバ砂漠に固執する彼を、ほとんど無理やり引き剥がし、ダイラント平原にまで連れ出したのはダースリッチである。此度ギリセフ守護に駆り出されている円卓騎士には、アンデッドを主体とするダースリッチ軍が、最も苦手とする、神聖魔法の名手がいる。砂嵐の魔術は、呼吸するあらゆる生物に悪影響を及ぼすが、アンデッドは呼吸をしていない。円卓騎士の魔法、ギリセフ擁する聖騎士部隊の魔法、双方を封じた上で、リスクはほぼ踏み倒すことができるのだ。
主の不興を感じ取ったか、二頭のスフィンクスがおわあ、おああと声を上げる。人の喉が無理やり獅子の啼き声を上げるような、奇妙な声音である。
「何、お前たちが気にすることではない……」
加えて言うならば、四天王とは別勢力である、アテンの手勢がいくら失われようと、ダースリッチには何ら影響がない。どころか、かつてのライバル、四天王の座に手をかけさえした男の勢力を削ることになる。一石二鳥の手段なのだった。
「G・C・レックスとスピノーヴァーだ!!」
見張り兵が裏返った声で叫んだ。
「エビルソード軍が来る!!」
突撃する軍勢の先頭、咆哮を上げるのは恐竜族の二頭。二つの巨体が、浮足立った兵たちを追い散らし、踏みつけ、あるいは牙にかける。
スピノーヴァーの長大な顎が剣のように振るわれ、兵たちを掬い上げ引き裂いた。G・C・レックスの突進に怖じ気づき、悲鳴を上げて逃げ出した兵がたちまちのうちに追いつかれ、踏みにじられる。その突進から逃れた兵にも、後続の魔族兵が殺到する。斧が振り下ろされ、剣が振るわれる。虹のように魔法がはじける。その軍が通り過ぎた後に、生き延びている者はいない。
周囲の兵を蹴散らされ、呪文詠唱の隙を逸した魔術兵が、震える手を持ち上げた。目前に迫るG・C・レックスの顎に向けて、護身の魔術を行使しようとする。レックスは、その巨大な口の両端を持ち上げて、にやりと笑った。
魔術兵に食らいつき、放り捨てたその顎で、G・C・レックスが高らかに咆哮する。スピノーヴァーが合唱するように声を合わせ、後から続く兵たちも異口同音に、鬨の声を上げた。
それは人間達からすれば、文字通りに魔の咆哮であった。竜、獣、鳥に怪物、幽鬼、姿も知れぬ何物か。姿形の異なる異形のもの共が、殺意だけは等しく携え、一丸となって襲い来る。
誰かが悲鳴を上げた。魔物たちの咆哮が、悲鳴をかき消した。
『エビルソード軍、左翼停止してくださいまし。出過ぎですわ、後退して戦闘継続を』
「ん?んんんん……?」
戦況は良好。しかし、エビルソード軍所属兵たちはストレスを溜めていた。全軍で一斉に殴りかかれば話が早いのに、少人数であっちに行ったりこっちに行ったり、待機したり出たり入ったり、ややこしいことばかりさせられているのはなぜなのか。
「むっ……?む……むむむ……」
コングロードはストレスを溜めていた。エビルソード軍一の知将である彼は、指示の内容も意図も完璧に理解していた。しかしその理解は、指示を聞き終えた次の瞬間には抜け落ちて、後には「全軍突撃」の一言が残るのみなのであった。
『エゴブレイン軍、火砲斉射お願いします』
「ジジイ通信入ってんぞ!ジジイ!」
「わかっとるわい!」
造物主の曖昧さに反し、エゴブレイン作の砲の威力はすさまじかった。ぷしゅっという気が抜けた音と共に発射された砲弾は、多段ロケットを切り離しながら上昇し、人間軍上空で、花火の如く炸裂する。燃えながら爆発する雨が、人間軍第一陣の上に降り注ぐ。防御魔法など突き破り、あらゆるものを灰燼に帰す威力、爆発が一段落ついた後も、紅蓮の炎は踊り続ける。エゴブレインがひええと奇声を上げた。
「ワシが造ってたの、こんな威力のモノじゃったっけ?……暴発しなくて良かったわい」
『第二波の準備お願いします』
「おそろしいのう……」
ブツブツ言いながらも、新しい火砲を準備するエゴブレイン。ほどなくして、炎の渦が再び戦場を焼き焦がす。
「恐ろしい火力じゃ……しかしこう見るとまだ改善点があるわい、戻ったら実験せねばのう」
本人の呑気さと兵器の凶悪さは、実に対照的であった。
「円卓騎士ディッカ殿より、通信入りました!」
「映像を繋げ!」
砂嵐吹き荒れる中、円卓騎士ディッカは、走りながら服の裾を千切り、口と鼻を覆って即席のマスクとした。司令室で指揮を取る、デカパイダイスキ・ベイツマン大佐は、その様子を鋭い眼差しで凝視する。
『ダースリッチ軍進軍中!周辺に未知の魔術による砂嵐が発生しています!』
ディッカは報告しながら、向かってきたアンデッドを斬り捨てた。次々に襲い来るアンデッド共を振り払い、切り刻み、戦い続ける。不利な状況にあっても、彼女の燃える眼差しは失われない。
『聖騎士軍はこの状況でもよく働いてくれていますが、砂嵐内では呪文詠唱に制限が出ます!大規模な神聖魔法の行使は難しいかと!』
腹の底から響く声は、通信魔法を介してさえ、司令室をビリビリと震わせる。ベイツマン大佐は額に皺を作り、別の通信先へと問うた。
「どうします、ヴォルカ将軍」
『決まってるじゃねえか!やられたらやり返すンだよ!!』
通信魔法の向こうでヴォルカ将軍が吠える。ギリセフ防衛の要であるはずの彼は、なぜか兵たちと共に戦場に立ち、エビルソード軍と切り結んでいるのだ。
「しかし聖騎士軍をこのまま運用するわけには……」
『んんwwwありえないwww』
『この笑い声は……』
通信魔法の向こうから聞こえるのは、王都の軍師、ロン・ジャンの声である。喋り方に似合わぬ智将である彼は、自信に満ちた声で話し続ける。
『ボンデッドが出てこないなら聖騎士は引いてサイクルを回すべきですなwww無意味に兵を失うなど愚の骨頂wwwぺゃっwww』
『じゃァ軍師様ならどうすんだ!?』
軍師ロン・ジャンの言葉は、こういった状況では誰からも一目置かれる。彼は一瞬の間もなく答えた。
『ヤーレムを出すべきですぞwwwギリセフには自律型ヤーレムの配備がありましたなwww』
自律型ゴーレムのコストは高く、多数を用意することは難しい。このギリセフに配備されたゴーレムは、生身の人間に大敵となる、ある敵への対抗策として特別に造られたものだ。だが、目前の危機に他に対抗する手段はない。
『ヤーレムならば砂嵐の中でも問題なく戦闘可能ですなwwwんんwwwすなあらしはありえないwww』
『ゴーレム出すぞォ!ベイツマン!準備しろ!』
「了解しました。例の策も進行中です」
『頼んだぞ!奴らハエみてぇに叩き潰してやるッ!!』
『んんwww補助技はありえないwww』
今度のロン・ジャンの言葉は、誰にも関心を持たれなかった。
「ふむ……」
砂嵐の中、不穏な動きを感じ取り、アテンは包帯の奥の目を細めた。
「なにか起きているな。当代の魔術か」
金属の軋み、人声ならぬ物音、何か奇妙なものの駆動音。傷ついた王の従者たちの声無き声。アテンは思案し、傍らに控える二頭のスフィンクスに声をかけた。
「お前たちも行きなさい」
スフィンクスたちは振り向いて、瞳孔のない目を見開き、主の表情を伺う。
「なに、心配するな。凡百の人間如きに殺される私ではないよ」
二頭は微かな唸りを上げ、砂嵐の中に飛び込んでいく。ほどなく間近で戦いの喧騒が響き始める。
「近づかれているぞ、ダースリッチ様。人間共は思いの外しぶとい……」
剣戟を抜けて駆け寄る足音。吹きすさぶ砂塵を裂いて、剣が突き出される。
剣はアテンの腕の包帯を浅く傷つけた。アテンは勇敢な聖騎士の頭を、片手で握り潰した。
アテンは騎士の屍を放り捨て、不思議なものを見るように、自らの腕の傷口をじっと見つめた。傷からはわずかに砂漠の砂が零れ落ちたものの、ひとりでに包帯に覆い隠され、痕跡さえも残らなかった。
二頭のスフィンクスがもぎ取られたゴーレムの頭を口に咥え、意気消沈した様子で戻ってくる。
「そして、手強い」
アテンは消え去った傷口を指でなぞり、笑い出す。砂漠の岩が風に吹かれるような声であった。勇者の死を知って以来はじめての、実に久し振りの笑いだった。
『何が起きたアテン!』
通信魔法の向こう、ダースリッチの声に、アテンは笑いながら答えた。
「聞こえんな、ダースリッチ様。砂嵐のせいかな、通信が遠くてならぬ」
『アテン!報告しろと言っているのだ!』
二頭のスフィンクスが頭をもたげ、唸り声を上げると、再び砂の中へ飛び込んでゆく。
「全てを知りたくばここに来るがいい。楽しいぞ、戦場はな……」
アテンは言葉を切り、目を細めた。通信の向こうから、怒りを押し殺したダースリッチの声が届く。
『今からそこに行き、指揮を取る。やはり貴様に任せたのは間違いだった』
「それがいい、それがいいとも、ダースリッチ様……」
アテンは再び笑った。砂嵐の轟音を貫いて、微かに裂帛の叫び声が聞こえてきた。
「ダースリッチ軍移動を開始しました!異常な速度です、聖騎士隊では追いつけません!」
『んんwwwS振りはありえないwww』
『仕方がない、撤退してくれ。ギリセフ前に軍を配置し、迎え撃つこととする』
ベイツマンの通信に、ディッカは異を唱えた。
「駄目です!それでは犠牲者が増えます!奴らはその場で兵を作る、遅れれば遅れるだけ、奴らの戦力が増すばかりです」
『では何を……待て!何をするつもりだ!!』
「ゴーレムを借ります!」
ディッカは返事も待たず、ゴーレム数機を連れて、砂嵐の中に飛び込んでいく。
『待て!ディッカ殿!……幸運を祈る!!』
その声を最後に、通信は砂嵐の音に飲まれ、聞こえなくなった。
人間たちの兵の流れが変わった。何かが起きている。魔王軍で最も戦に長けた組織であるエビルソード軍は、伝令の言葉を待つまでもなく、一兵卒に至るまで、状況の変化を理解していた。
だが、彼らのやることは変わらない。殺し、殺し、殺すだけだ。
ただし、聡明なるコングロードだけは、そうは考えていなかった。伝令が寄越した戦況図を手に取った彼は、瞬時に状況を理解する。
ダースリッチ軍が異常に突出しつつある。このままここで戦闘を続行すれば、隙間に潜り込まれ、分断されて撃破される可能性が高い。さりとてダースリッチを追って前進すれば、元々の作戦は台無しだ。留まれば立て直せるかもしれない戦況は、完膚なきまでにめちゃくちゃになる。同じ作戦を実行できる形には、二度と戻らないだろう。
「あの、ヘルノブレス様は現状維持と」
この状況を打破する一手、覆す手段とは?
「ふむ……」
コングロードの脳細胞を、千万もの知略が駆け巡る!
「コングロード様?現状維持と……」
「ならば……」
彼は重々しく呟いた。
「全軍!!突撃!!」
「全軍突撃ィーッ!!!」
エビルソード軍が、この日二度目の鬨の声を上げた。
「奴ら動き始めやがった!行くぞお前らァ!」
ヴォルカは戦いながら拳を突き上げ、逆の手の剣で敵を切り払った。
「どうするんです将軍!」
「決まってんだろうがよォ!奴ら全員血祭りに上げてやる!!」
ヴォルカは力強く叫び、新たな作戦を示す。
「狙うはダースリッチ軍とエビルソード軍の分断!またはエビルソード軍とヘルノブレス軍の分断だな……まあ入ってから決めりゃいい!臨機応変にな!」
そしてヴォルカは猛々しく咆哮を上げる。
「旗持てェ!!ついてきなお前ら!」
兵士たちは将軍の声に続いて、高らかに喊声を上げた。
「進め進め!ギリセフは目の前だ!」
渦巻く砂嵐の中、ダースリッチが叫ぶ。ダースリッチ軍は後続を置き去りに、あり得ない勢いで進軍していた。
異常な移動速度は、まともに戦闘していないことから生み出されるもの。ダースリッチ自身はほとんど人間を無視して突き進んでいるが、死体から即席に生み出すアンデッドをバラ蒔けば、死者は勝手に増え、兵も増える。無言で付き従うアンデッドたちの多くは、道すがら拾ってきた人間兵士の屍や、魔族の骸だ。
「何を焦っている、ダースリッチ様?念願の四天王の座ではないのかね?」
アテンが皮肉っぽく囁く。ダースリッチは振り向いて、かつてのライバルを睨みつけた。
「手柄だ!手柄が要るのだ!!手柄さえあればわたしを下に見る連中もいなくなる……貴様に何がわかる!」
ダースリッチは狂ったように叫んだ。彼もこの作戦、この包囲網の重要性は、よく理解していたはずなのだ。しかし前線に来てみれば、目の前にあるのは陥落寸前のギリセフ。触れなば落ちん乙女の裸体に等しいそれを見て、どうして手を出さずにいられるだろうか。
「お前が侮られるのは、手柄よりもそのみみっちい性根のせいだろうさ……む」
アテンは砂嵐の中に、配下たちの声なき悲鳴を聞いた。それはすぐに途絶え、後に残るは沈黙のみ。何かがいる。何かが。
それの存在について、アテンは警告しなかった。よろめきながら現れ出たそのものは、目鼻も定かならぬ顔を向け、唐突に剣を振るった。
ひゅうと大気が鳴る。異様な勢いで打ち込まれた剣は、隼の精妙さをもって急所を狙った。ダースリッチは、ローブを裂かれながらも危うく身を躱し、剣を鎌の背で止める。金属の擦れる音が響く。敏捷に剣を引き、飛びすさったそれは、目的を見失ったように、再び唐突に動きを止めた。
不安定に揺らぎながら、ゴボゴボと喉の奥から音を漏らすそれは、人間の姿をしていなかった。歪に身体のそこここを盛り上がらせ、様々な未知の器官を生やした姿は、腐って崩れたアンデッドからすら遠かった。ダースリッチが目を見開く。
「こやつ『成り損ない』か!」
「『成り損ない』か。実在するとはな」
その男。遥かな過去に、魔王軍を崩壊寸前に追い込んだという、『勇者未満』。人間どころか魔族にすら、実在を疑われる伝説上の存在。喪ったかつての名を、アレクサンダーという。生者ならず死者ならぬものとなって彷徨い続ける、成り損ない、アレクサンダーは、この日再び、魔王軍の前に立ち塞がった。
ぐらり、と『成り損ない』の身体が揺れる。転倒しかけたが如く足を踏み出し、疾走し跳躍。自ら跳ねたというよりも、見えない腕に投げつけられたような突撃を受け止め、アテンの巨体が後退る。
「こいつ……!」
組み付いたままの『成り損ない』が、剣を振りかぶり突き立てる。ばっと包帯がはじけた。刃を受ける前に自ら解けた包帯は、『成り損ない』の腕をするすると這い上がり締め上げる。
「そこで止まれ!」
ダースリッチの鎌が振りかぶられる。『成り損ない』諸共切り裂こうとする刃から、アテンは包帯を切り離して逃れた。包帯の中から歪な形の腕が飛び出す。『成り損ない』は鎌の刃を掴み、それを支点に一回転、刃を飛び越えると、再び動きを止める。
「私ごと殺そうとしたな」
「その程度で死ぬのか、貴様」
二者は憎悪の視線を交わし、その後に『成り損ない』へと向き直った。
「何が起きている!?」
「お待ちください!情報が錯綜しており……」
「どうなっているんじゃ!?」
ダースリッチ軍に続き、エビルソード軍までが移動を始めた。何かが起きている。エゴブレインの予想外の何かが。エゴブレインは不安に駆られ、ブロークン・レギオンから通信機を奪い取ると、何度も応答を求めた。
「落ち着けジジイ」
メイドールが気だるげになだめる。その周りでゴーレムたちが、同意するようにガチャガチャと音を立てた。この軍で守らねばならないものは、エゴブレイン一人。仮にゴーレムたちが、すべて戦場に散ったとしても、エゴブレインさえ生き延びていれば取り返しがつく。ゴーレムたちは至極平静だった。しかし困ったことに、彼らの造物主は、実験室外で起きる異常事態には滅法弱かった。
「作戦だのは向こうに任せりゃいい。ジジイは黙って座ってろ」
「しかしのう!」
「!ジジイ!」
反論しかけたエゴブレインの目の前、メイドールが素早く反応した。ダースリッチとエビルソードの軍が動き、開いた隙間からなだれ込んできた人間軍。その放った砲弾がひとつ、隙間から飛び込んできて、空中できらりと光った。
「ぎゃああ!!」
砲弾が炸裂する。白く光に満たされた空間に、エゴブレインの悲鳴が響き渡る。
「落ち着けって言っただろ……」
メイドールの全武装が展開、宙にあるうちに、砲弾を欠片も残さず消滅せしめていた。金属剥き出しの武装の間で、少女のままの顔が、やはり気だるげに造物主を見やる。
「アタシがジジイに、傷一つでもつけたことがあったか?」
しかしエゴブレインは、完全にパニックに陥っていた。口から泡を飛ばして叫ぶ。
「突撃!突撃じゃーっ!遅れるなーッ!!」
「クソが……!何年四天王やってんだジジイ!」
「なにか前で起きたようだな。軍全体が動き始めている」
前方から殺到する敵兵を跳ね飛ばし、素早く旋回して、チャリオットホイールが戻ってくる。
「敵が次々湧いてくる。追い払ってもきりがない。今すぐ移動した方がいい」
ひゅうと風が渦巻き、チャリオットの突撃から逃れた兵を吹き飛ばす。イーヤンの風魔法である。
「ケツから食いつかれてる。グズグズしてたらカマ掘られてくたばるだけだぜ」
軍の最後方で、デモンスピアーが槍を振るいながら悪態をついた。
「戦況が変化しすぎたな、我々も移動するぞ。ヘルノブレス様への状況報告が必要だな」
ソツガナイトの判断に、部下たちは揃って驚愕した。
「えっ……!?」
「えっ……!?」
ソツガナイトは驚愕されたことに驚愕した。
ヘルノブレスとの通信を行いつつ、移動を始めた軍の最後尾付近、デモンスピアーが怒鳴る。
「毒猫!毒猫ギン!いるか!」
「はいっここに!」
毒猫ギンが踊るように飛び跳ねて現れた。金色の瞳は期待に溢れて輝き、鋭い爪は興奮で出たままになっている。
「テメェはしんがりだ。何人か連れて行って撤退の時間を稼げ」
「はいっ!……デモンスピアー様♡」
「なんだ?」
「自分のカマは♡掘っていただけないのでありますか♡」
デモンスピアーは、心底不快そうな表情を浮かべ、歯を剥き出した。
「うるせえ!さっさと行け!」
「はいっ♡」
毒猫ギンは嬉々として飛んでいった。
「わかりました。貴方等も遅れぬよう進軍なさい」
ヘルノブレスは報告に、至極冷静な声で答えた。貴族らしい気品に溢れた、威厳ある声であった。その肌は蒼白になり、びっしりと汗をかいているが、動揺は現場には届かなかっただろう。
『承知致しました。作戦はどうされますか』
「継続します。こちらから独立部隊を出します」
ヘルノブレスは通信を切り、鋭く息を吸った。ダースリッチは戦場に飛び出し、エビルソード軍とエゴブレイン軍は指揮下を離れた。しかし、まだ作戦は継続できる。そう。独立部隊を出したならば。
独立部隊。それは一人で戦況を覆しうる、一騎当千の猛者。そして、可能な限り戦場に出したくない者たちでもある。
兵士たちははじめ、肌に微かな振動を感じた。それはまるで無害で、虫の羽ばたきに似ていた。
ふと腕に目を落としたひとりは、毛穴という毛穴から、蚯蚓のようにうねりながら這い出ていく、自らの血を目にした。絶叫する口からも、遅れて鼻からも目からも、血潮の奔流が吹き上がる。
血液たちは未だ血管の中にいるように脈打ちながら、新たなあるじの下に馳せ参じ、その目前にこうべを垂れて、大河の一滴となった。
動くものがいなくなった屍の山と血の川の中を、一つの影が悠々と行く。
鮮血卿。ゴア。
正確に言えば、影は一つではない。真後ろにぴったりと付き従う、小柄な影がもう一つ。ブロークン・レギオンの一体が、ゴアに付きっきりで、本部からの指示を伝えていた。
「ゴア様!!真っ直ぐ進んでください!!!」
「あ?なんだって!!?」
「真っ直ぐです!真っ直ぐ!!!」
「やかましいわい!そんなに叫ばんでも聞こえるわ」
ゴアはうるさそうに怒鳴り返す。レギオンは首をすくめた。
屍の山の内から軋り音が聞こえ、ゴアは足を止めた。覆い被さる死体の山を跳ね除けて、光沢をまとった太い腕が突き出される。
「む……」
ゴアは苛立ったように小さく声を漏らし、片手の武器を構えた。鋼の体に赤く光る目。ゴアが最も苦手とする敵の一つ、アイアンゴーレムである。
「おお、忘れるところであった……」
ぱちん。火花がはじける。次の瞬間、火花は稲妻となり、ゴーレムの中から吹き上がった。
「貴殿はゴーレムが苦手だったのでしたな」
ゴアは振り向いた。そこに立つのは、獣の頭骨に似た頭を持つ、年老いた魔族。
「……ワースレイ殿……?」
二者は見つめ合い……しばらく動きを止めた。
「進んでください!」
「真っ直ぐです!」
「わかっとるわい!」
「忘れておらぬ」
二体のブロークン・レギオンの指示に揃って返答し、二人の古強者は肩を並べ、歩み出す。更なる敵を屠るために。
『ああ、つまらぬつまらぬ……まったく下らぬ殺しよ』
兵を叩き潰しながら、巨竜は嘆きの声を上げた。
『歯応えもなければ勇気もない。これでは蟻の巣を潰すのと変わらぬ』
二つ目の首が同意する。血にまみれた巨大な顎が、不運な兵を間に挟み、かつんと音を立てて閉じた。
『つまらないねえ。かわいい女の子もいやしない。早く片付けて帰りたいよ』
優しげでさえある穏やかな声。その吐息が兵士の群れを焼き焦がす。
邪竜、オジ=ダハーカ。その三つ首は、契約による義務と、惰性によって振るわれていてさえ、なお脅威だった。
『ぬ』
左の頭が首を傾げ、小さく唸る。そのまぶたを、矢がかすめて落ちた。震えながら弓を構えているのは、まだ少女の気配を残した女性兵士であった。
『お嬢ちゃんお歳📅はいくつ✨カナ?パパ👨とママ👩とは仲良し💕?』
三つの頭は揃って相好を崩し、身を乗り出した。久しぶりに孫に出会った、老爺のようであった。
『まあ、仲良し🙆でも、仲良しでなく🙅ても、ここでシンジャウ💀から関係ない⬇⬇ケド……』
『独立部隊進撃中!戦況はほぼ、当初の予定状態に戻りつつあります!』
報告を聞いたヘルノブレスは、安堵のため息をつき、握り合わせていた両掌を離した。
そう、これでいい。ある程度戦況が落ち着いたら全軍に停止命令を出し、状況を修正しよう。力が兄様には及ばずとも、兄様の真似事はできる。不測の事態にも焦らず、こうして修正していけばきっと……。
突如響き始める、場違いに陽気な音楽。周囲どこにも出処は見えない。
「こ……この音楽は……?」
「麻雀の力を舐めてるわね?」
出し抜けに麻雀空間から掌が突き出され、ヘルノブレスの手を握りしめた。
「パイパイ☆シスターズが成敗してあげるわ!」
「ヘルノブレス様が拉致された!?」
ヘルノブレス軍。戦場をひた走る彼らの下に、無情な知らせが届く。
「我々の目標は変わらない。友軍と合流し、体勢を立て直す」
「えっ……」
動揺は一瞬だった。ソツガナイトは冷静に判断し、またも部下を困惑させた。
「他軍とは交信できないか?」
「はい!通信、繋ぎます!」
『助けて〜ッ!!!』
通信の向こうから届いたのは、エビルソード軍に振り回されるレギオンの悲鳴である。
「助けてと言っています」
「……我々にはどうすることもできない……」
ソツガナイトは悔しそうに拳を握った。
一方、軍先頭を走る、チャリオットホイールとその配下は、また異なる困難に直面していた。人間軍を轢き潰し跳ね飛ばし、突撃する彼らの前、無防備にゆらりと歩み出る影。全く子供じみた歩みで現れたそれは、両手のメイスを無造作に構える。
「……!」
チャリオットホイールは寸前で変形を解き、地面に這いつくばって逃れる。真後ろにいた部下が、兜ごと頭部を叩き潰されて倒れた。
「あっ、外しちゃった……」
円卓騎士が一、狂騎士ユゥレル。しょんぼりと呟く彼女が握るメイスは、殺意に満ちて臨戦態勢にある。
「戻って本隊に円卓騎士が来たと伝えろ。こいつは私が引き受ける」
チャリオットホイールは部下に告げた。頷き、走り出そうとする部下の前に立ちはだかるユゥレルに、チャリオットホイールは体当たりを食らわせた。
「せっかちだなぁ、もうッ!」
部下を打ち据えるはずの一撃が軌道を変え、チャリオットホイールを捉える。丸まった状態で斜めに受けたというのに、甲殻が軋む。まともに受ければ叩き割られるだろう。戦慄する。人類にこんな怪物がいたとは。
「貴様の相手は私だ!」
ユゥレルの行く手を遮り、チャリオットホイールは急旋回。再び体当たりすると見せかけ、横へ回り込んでメイスの直撃を避ける。
「鬼ごっこだね!いいよ!」
狂戦士ユゥレルの配下が、部下を追うのが見える。だが、ユゥレルその人を足止めするだけで精一杯だ。チャリオットホイールは急加速と停止、急旋回を交え、細かく軌道を変えながら走り続ける。攻撃はできない、逃げの一手だ。遊戯のように繰り出される左右のメイスは、一撃一撃が必殺の威力。正面からぶつかるには、力量が違いすぎるのだ。
背後からだしぬけに突き出された槍、デモンスピアーの襲撃を、ユゥレルは振り向かずメイスで弾く。
「ずるいじゃない」
ユゥレルは子供っぽく頬を膨らませる。
「チャリオ、円卓騎士とやってるッてなあ」
喋りながらもデモンスピアーの槍は、矢継ぎ早に繰り出される。ユゥレルのメイスが、それら全てを弾き返す。
「こいつの首取りゃどえれェ武功よ。俺にも一枚噛ませろよ」
「はて……私は何をしているのだったか……」
ワースレイ翁は魔術障壁を張りながら、困惑したように呟く。見えない魔法の壁が砲撃を受け止め、小規模な爆発を起こした。
「戦闘中です!!魔術障壁を継続してください!!」
「おお、そうであったな……」
人間軍は、ゴアの存在を知り、遠距離からの砲撃に切り替えてきていた。視認できる範囲外には、ゴアの能力は届かないのだ。周囲の友軍はゴアが皆殺しにしたため、誤射はありえない。撃ち放題である。故にこうして、打ち捨てられた人間軍の兵器の残骸の影に身を隠し、ワースレイの魔術に頼って身を守りつつ、本部からの命令を待っていたところに、ヘルノブレス消失の報があったわけだ。
「ですからァ!!!ヘルノブレス様がァ!!!拉致されてェ!!!」
「なんだって!!?」
「ヘルノブレス様が!!!拉致!!!」
ブロークン・レギオンの一体が、付きっきりでワースレイに語りかけ続け、もう一体はゴアへの状況説明を行う。ゴアは耳と目が衰えているものの、思考は明晰である。ワースレイ翁は耳も目もしっかりしているが、記憶力が衰えつつある。老人二人に挟まれ、ブロークン・レギオンは疲れ果てていた。
「要は指示は来ないわけよな!!では出発しよう!!」
「どこへですか!?」
「散歩だ!!ぼんやり休んでいるのは飽き飽きしたわ!なぁワースレイ殿!!」
ゴアは陽気に声を張り上げた。戦場に出て気が若返っているのか、老人とは思えない、溌剌とした声音である。
「出発ですかな、ありがたい。私も退屈していたところ、どうも歳を重ねると、せっかちになって困りますな」
ワースレイが何事か呟くと、魔術障壁の輝きに変化が生じた。障壁が撓み、砲弾を来た方向へと跳ね返す。
「さてさて、どこへ行きましょうかな」
「……」
ゴアは返答せず、ブロークン・レギオンに顔を近づける。ブロークン・レギオンは状況を察し、その耳元に口を寄せ、小さめな大声で怒鳴った。
「どこに行こうかと言っておられますッ!!!」
「うむ!では戦場をぐるりと一回りと行きましょうぞ!!」
「楽しくなってきた!まだまだ遊ぼうね!」
ユゥレルのメイスが凶暴に唸りを上げた。右のメイスがデモンスピアーの槍を、左のメイスがチャリオットホイールの突撃を弾く。狂戦士ユゥレルは、中隊長二人を危なげなく相手取り、優位に立ち回り続ける。
メイスを躱して旋回しながら、チャリオットホイールは焦る。ユゥレル配下の兵も戻ってきている。このままでは勝ちの目が見えない。
「チャリオォ!」
不意にデモンスピアーが叫び、ユゥレルの右側に回り込んだ。下から突き上げるように振るわれた槍は右のメイスに弾かれる、と思いきや、手元で旋回して引き戻され、上からメイスを叩き落とした。元より武器狙いの一撃だったのだ。
「承知!」
ユゥレルの動きが乱れる。崩れた体勢で振るわれたメイスは遅い、チャリオットホイールは接触寸前で変形を解き、左のメイスを腹側にがちりと挟み込んだ。
「んっ」
ユゥレルの動きが一瞬止まる。その隙をついたデモンスピアーが踏み込み、胸を目掛けて槍を繰り出した。
「獲ったァーッ!!」
「とってない!」
ユゥレルはデモンスピアーの槍を、素手で受け止める。
「なっ」
「返してよッ」
「んだとォ!?」
ユゥレルは槍を振り回し、デモンスピアーごと放り投げる。
「私の武器!!」
そしてその勢いのまま、メイスを抱え込むチャリオットホイールを蹴り飛ばした。脚の爪の削れる音がガリガリと響き、強引にメイスが引き抜かれる。
「デモンスピアー!撤退だ!」
勝てない相手だと踏み、二人は揃って逃げ出す。時間は十分に稼げたはずだ、足止めとしては問題ないだろう。
「バケモノかあいつ」
デモンスピアーは呆然と呟き、チャリオットホイールを睨みつけた。
「テメェこれ貸しだからな」
「一枚噛ませろと言ってきたのはお前だろうに」
「デモンスピアー様♡♡♡」
斜め後方から声。走る二人に追いついてきたのは、毒猫ギンである。
「ギンめを待っていてくださったのですねェ♡」
「ンなわけねェだろカスがッ」
「全軍突撃!!」
エビルソード軍は、ヘルノブレスの消滅後も、比較的秩序を保った戦闘を続けていた。そもそもが、あまり秩序のない軍だから、とも言える。
「停止ッ!!戦闘態勢ーッ!!」
エビルソード軍は全軍での突撃と戦闘を繰り返し、人間軍の隊列を食い破りながら、戦場を縦横無尽に動き回っていた。人間の軍隊であれば、こんな移動は不可能だ。個人として可能な者がいても、落伍者が続出し、隊としての形を維持できない。しかし、魔族にはそれが可能なのだった。
「突撃ーッ!!!」
疾走し始めたばかりのエビルソード軍の前に、突入してくる人間の騎士たち。エビルソード軍兵士たちは、衝突に備えて身構える。
人間軍の先頭に立つのは女騎士。円卓騎士が一、光魔法の名手ルミナリア。
「行きますわよ!」
人間たちは目を覆った。ルミナリアの光魔法が炸裂する。
「グッ……!」
太陽そのものの如き真っ白な光。この一瞬でエビルソード軍の、実に半数が視力を失った。
ひとつ、ルミナリアの誤算があったとすれば。エビルソード軍は、視覚を失った程度では止まらないということ。
「走れェーッ!!止まるなァ!!」
自らも視覚を失いながら、コングロードが絶叫する。その指示を受け、先頭に立っていたG・C・レックスとスピノーヴァーが、耳を聾する声で咆哮した。軍は二頭の声を頼りに走り続ける。巨体は急には止まれない、個体としても集団としてもだ。仮に無理やり止まったならば、後続に挽き潰されるのが落ちだ。
二頭が再び咆哮する。軍後方から聞こえてきた、悲鳴じみた絶叫は咆哮にかき消され、人間たちの耳には届かなかった。
先頭の二頭が唐突に横っ飛びして、道を開ける。軍が真っ二つに開けた、その隙間から飛び出してきたのは、狂気の暴力。すすり泣きを漏らしながら、牙を鳴らし爪を振るい、たちまち目の前の人間共を挽肉に変える。
ギガノートリアス。かつて街一つを一夜にして、瓦礫に変えた暴竜。触れるものすべてをなぎ倒し、動きの気配に反応して、更なる攻撃が繰り出される。自分の負傷にも相手の死生にも頓着せず、ただただ振るわれる無秩序な暴力。戦闘を継続しようとした騎士たちが、跳ね飛ばされ切り刻まれる。
「止まりなさい!!何もしてはいけません!!見えていないのです、刺激しなければ我々の存在には気づかれないはず……!」
距離を置いて様子を伺う兵士たちの前で、ギガノートリアスは激しく頭を振り回し、ガチガチと歯を咬み鳴らした。爪に引っかかった死体を放り投げ噛み砕き、周囲に触れるものがなにもなくなると、地団駄を踏んで身を翻し、どこかへと駆け去っていく。
「なんてこと……」
ルミナリアは苦しげに呟いた。たった一頭に隊の四分の一が殺されるか、傷つけられて、戦闘不能となったのだ。しかもその隙に、エビルソード軍は形成を立て直していた。視力を失ったものは軍の内側に、見えているものは前に。戦闘を続けながら回復の時間を稼ぐ態勢だ。
「ああ、でも……」
ルミナリアは獰猛に微笑んだ。
「止まってはいただけましたのね?」
恐怖に囚われ、兵士たちが背を見せて逃げていく。その人の流れに逆らって、駆けてくる男が一人。誰もが恐れるオジ=ダハーカの三つ首の前に立ち、彼は叫んだ。
「オレの娘は!!どこだ!!」
『アレ、これ👇キミの娘さん👶だった?😭ごめんね💦』
中央の頭が兜を吐き出した。左の頭が手甲を。右の頭はブーツを。
『悪いけど😱返してあげられない😜ヨ』
亡剣のアルツァインは、かっと目を見開く。
「貴様ァ!!」
『戦場🏜️で熱く🌋なっちゃダメ🙅だヨ』
たしなめた中央の頭の口が開き、ブレスを吹き付ける。
『こうやって👉焼き焦がされちゃう🔥からネ🤭』
消えたブレスの下から大剣。アルツァインはほとんど地に伏せるように身を低くして、直撃を回避していた。
「また誰かの妻を……娘を殺すのか!」
『あらら』
オジ=ダハーカは先の分かれた舌を出し、切りつけられた鼻先を舐めた。左の頭が代わって牙を剥くも、アルツァインは転がって回避、崩れた姿勢のままで喉を狙って斬りつける。
「殺してやる!!」
『君😅ひょっとして💡面倒😩なやつカナ🤔?キミがどんなに⏳頑張って💪💪も妻👩も娘👶も帰ってこないヨ⬇⬇』
アルツァインは悲痛な声で叫んだ。
「ここで!!殺す!!」
『うーん……つまらないやつだなあ』
オジ=ダハーカは面倒くさそうに唸った。
『キミ👉みたいな狂人🤪はキライ⬇⬇!おもしろくない😡!!』
オジ=ダハーカの三つ首が、一斉に牙を剥く。
『故に殺す。下らぬ人生に思い悩まずに済むようにしてやろう。感謝せよ』
砂嵐の中、後方から絶叫が迫る。アンデッド軍が、裂帛の気合いと共に次々に蹴散らされる。雄のスフィンクスがギャンと悲鳴を上げた。
「見ィつゥけェたァァァァ!!」
駆けてきたのは円卓騎士ディッカ。全身血と砂にまみれ、それでも目に燃える炎は猛々しいまま。立ちはだかるアンデッド兵を剣の一振りで切り捨て、猛然とダースリッチに襲いかかる。
「チイッ!!貴様か!!」
ダースリッチは大鎌を掲げ、彼女の剣を受け止めた。得物の巨大さに似合わぬ敏捷さで、二の剣、三の剣を受け流し、逆手から放たれた神聖魔法も回避して、間合いを取る。
「追いついてきたのか……私の砂嵐を潜り抜けて」
アテンはぐっと片手を握った。砂嵐の範囲が狭まり、砂塵の量が増す。常人ならば、目も開けられないほどの砂のカーテンの中でも、ディッカは動じない。聖騎士隊を置き去りに、供としたゴーレムたちを全て失っての一騎駆け。代償は小さくないだろうに、疲労の色は見えなかった。
「わざわざ死にに来たか円卓騎士!その首を取ればわたしの武功!」
ダースリッチは狂おしく吠えた。砂嵐の中からアンデッドたちが現れ、影のように周囲を取り囲む。
「たった一騎で!これだけの兵に立ち向かうつもりか!」
「かかってくるがいい!!!円卓騎士ディッカ、貴様らが何千いようが滅ぼし尽くしてくれる!!!」
ディッカが腹の底から響く声で吠え返す。砂嵐渦巻くこの戦場にあっても、その声は激しく激しく響き渡り反響した。
「……うむ」
ダースリッチは気勢を削がれ、曖昧に頷く。意識の有無も定かならぬ『成り損ない』が振り向き、魂のないはずのアンデッド兵さえも、攻撃を躊躇うほどの、壮絶な爆音である。
「……声が大きすぎて、逆に何を言ってるかわからない、と言われたことはないかね、お嬢さん?」
「貴様ら魔族とォ!!話す口はないッ!!!」
「ああ……うん……すまない……」
『例のものはまだか?』
ベイツマンの通信を受け、暗黒卿レイスは蝋燭を並べながら、早口に答えた。
「すまない、じきに終わる」
部屋の中央に置かれているのは、ダイラント平原の地図。レイスは、その周りを取り囲む魔法陣を描いていた。
彼が試みているのは、魔術の割り込み。ダースリッチ軍はネクロマスターをはじめ、死霊術師を多く要する。死霊術師が制作する、自我を持たないアンデッドによる物量攻撃は、他軍に比べ強力な兵士が少ない欠点を補ってあまりある。
円卓騎士らはそこに目をつけた。即席で創り出されたアンデッドは、肉体と術の結びつきがもろい。死霊魔術に明るい暗黒卿レイスの力をもってすれば、対抗呪文によって、ダースリッチ軍の要たるアンデッドの動きを阻害できないだろうか。
レイスは魔法陣の各角に立てた蝋燭の炎に、魔術触媒を少量ずつ加えていく。蛇血茨の種。魔鷹の風切り羽。尖角虫の糞。蝙蝠の睾丸。処女の唾。水晶の破片。魔皇クジラの胆石。新たな材料を一つ加えるたび、蝋燭の炎が強く燃え上がり、不思議な色の光を放つ。
「さて……」
蝋燭全ての色が揃った。魔法陣が淡く輝き始める。
「どうなる……?」
歯車が狂ったように、アンデッド兵たちの動きが不安定にぐらついた。糸のもつれた操り人形のようにふらふらとよろめき、影響の大きかった数体は地面に伏してしまう。
「おやおや、なんとまあ。これも近年の魔術か。やはり砂漠に引きこもっていると、情報が古くていかん」
アテンが呆れたように呟いた。
「貴様等アンデッドなどッ!!!何千いようと敵ではないがッ!!!これで万に一つも勝ち目はないぞッ!!!」
ディッカの怒声が、再び大気をビリビリと震わせた。
「どうする?ダースリッチ様?」
聖騎士ディッカ、ダースリッチが一度敗北を喫した、高度な神聖魔法の遣い手。得体の知れない『成り損ない』。たとえ両方を屠り、再度進軍を開始できたとしても、アンデッド兵共は最早使い物になるまい。
「土下座すれば許してもらえるとでも?」
ダースリッチは歪んだ笑みを浮かべ、鎌を構える。
「勝つしかあるまいよ」
「そうだな。ダースリッチ様と共闘とは、気持ちのいい話ではないが」
アテンも陰鬱に頷き、両腕を広げた。
「ところで名乗っていただき恐縮だ。私の名はアテン。どちらが勝つにしても、今後名を呼ぶ機会はあるまいが……」
「もうだめじゃ……わしはおしまいじゃ」
エゴブレイン軍は、戦場のど真ん中で完全に停止し、人間軍に包囲されていた。メイドールが叱責する。
「ジジイしっかりしろ!やる気出せ!」
アトミックゴーレムの装甲が剣に削られ、耳障りな音を立てた。エゴブレイン兵器たちの、戦闘力自体ははなはだ高い。現に主がダウンした今も、ほとんど損耗なく、エゴブレインを守り続けている。
「エゴブレイン様!!このままでは兵を無為に死なせるだけです!!ヘルノブレス配下の立場からも、一時撤退を進言します!!」
ブロークン・レギオンも叫ぶ。
「エゴブレイン様!我らは無敵、なれど……御身は無敵ではありません!どうかご判断を!」
無敵のスピーシャスが光線を放つ。魔機兵は自ら考え自律的に動く、有能な兵士たち。こうした場面では極めて役に立つが、その彼らもへたばった造物主の精神を立て直すことはできない。
「研究室に帰りたい……」
「ああもう……なんでジジイを戦場ど真ん中に連れ出したりするんだよ……!」
この老人がその気になれば、ここにタルタロンを呼び出し、戦場を丸ごと踏みにじることもできる。今この場で即座に動かせる強力な兵器も、数多く存在する。しかしスネてしまったエゴブレインは、どうにもその気にならないのだった。
「ワシはもうダメじゃ……」
「ジジイはもうダメだ!ここは……ええと……ええと……どうしよう!?」
メイドールは途方に暮れる。彼女はエゴブレインの弱点をそのまま引き継いでおり、計画立案や事務作業がまるでできないのだ。
「ちくしょう……エゴマッスルを連れてくりゃ良かった。スピーシャス、なんか思いつかないか」
「そ、そんな……」
突然話を振られたスピーシャスも困惑する。
「くっそ〜……とりあえず進むか?なあジジイ、進んでいいか?」
「待ってくれ……この絶望の中から、新しいアイデアを思いつきそうじゃ」
「今はいいんだよアイデアはよォ……」
「待ってください!」
ブロークン・レギオンが立ち上がる。
「ヘルノブレス軍の『私』と通信が繋がりました!友軍が近くにいます!一先ず合流しましょう!!」
イーヤンの起こした風が渦巻き、魔機兵たちの武装が火を吹く。人間軍の包囲が破れ、魔族の軍団と軍団が接触した。
人間軍と戦闘しつつ戦場を駆けてきたヘルノブレス軍、ようやく目標を見つけ、明確な戦闘態勢に入ったエゴブレイン軍は、戦の真っ只中で合流した。
「あそこだ!私!無事だったか!」
「私!私こそ無事だったのか!」
ブロークン・レギオンとブロークン・レギオンは、互いに駆け寄り、手を握り合った。
「ヘルノブレス軍軍団長、ソツガナイトと申します。エゴブレイン様にお目にかかりたい」
「メイドールと申します。あー……申し訳ございません」
ぴしりと軍人の礼を示すソツガナイトに、メイドールは恥ずかしげに答えた。
「今エゴブレインは完全にスネてしまっておりまして……」
「一人にしてくれ。誰にも会いたくない」
すっかり自己反省モードに入っているエゴブレインに、ソツガナイトはつかつかと歩み寄った。
「緊急事態ですので、お許しください」
ソツガナイトは一礼すると、エゴブレインを抱え上げる。
「あっ!!何をする!!」
「叱責も罰も後から受けましょう。今はとにかく移動せねばなりません」
じたばたもがくエゴブレインを背負い、ソツガナイトは姿勢を正し、高く叫んだ。
「離脱だ!突撃態勢!!」
ヘルノブレス軍の兵が素早く配置につく。
「包囲を突破します!援護を!」
ソツガナイトが再度鋭く叫ぶ。他軍との集団行動に慣れていないゴーレムたちは、戸惑いつつも、彼の言葉に応じて攻撃を放つ。ビームや火球、魔法が人間たちを焼き焦がし、怯んだところにソツガナイト配下がなだれ込んだ。
「メイドールさん、この軍の兵たちには何ができますか」
包囲を脱し、走りながらソツガナイトが問う。
「ええっと……」
メイドールは口ごもる。できないことなら言えるものの、できることはすぐには思いつかないのだ。
「では質問を変えましょう。自立思考が可能で、独力で戦闘可能であり、命令に従える兵は何体いますか」
「それは……あいつとあいつと……スピーシャス!魔機兵何体だっけ!?ええと……あとそいつとそいつに……大体こんなところでしょうか……」
「ありがとうございます。しばらく彼らを貸してください」
「アタシが決めることじゃないんです、魔機兵は独立部隊だし……ジジイ、いいよな?」
エゴブレインは暴れるのを諦め、不機嫌になにかぶつぶつと呟いている。
「よさそうです」
「ありがとうございます」
ソツガナイトは一礼し、朗々と声を張り上げた。
「今名が上がったものはこちらへ!一時私の指揮下についてもらう!」
ゴーレムたちは思わず踵を合わせ(踵があるものは)、背筋を伸ばした(できるものは)。エゴブレイン配下では聞いたことのない、明確な指示であった。
「目標は本陣への帰還!」
移動しながら、各部隊へと役割を割り振り、それぞれへの指示を出していくソツガナイト。メイドールはすることもなく、その様子を眺めている。
「できる男だなぁ……」
「そうでしょう。素晴らしいんですよ、ソツガナイト様は」
ブロークン・レギオンが胸を張った。
「だがエゴブレイン様とて、知性と発想力ではかの方を上回ろう」
「張り合うなよスピーシャス。みっともないだろ」
差し迫った危険から脱し、やや弛緩した空気が流れ始めた軍の中、不穏な気配に初めに気づいたのは毒猫ギンだった。耳をピンと立て、不吉な予兆の出処を探る。
「デモンスピアー様、なにか来ます」
「確かに。かなり大勢だ」
次いで獣人族の耳や鼻、ゴーレムたちの計器もそれの気配を察知し始めた。
「陣形を組み、襲撃に備えろ」
ソツガナイトの声も緊張を帯びて低くなる。
「近くなってきたな。これはまずいぞ」
そういった魔機兵の一機が、直後爆発した。魔法の稲妻が降り注ぐ。
「勇者か!」
勇者連合軍。その第一隊が到着したのである。
「おまえたち、近寄るな。離れるのだ」
アテンは自らの配下に命じた。
「無意味に散ることはない」
ダースリッチが鎌を振るう。空間が裂け、見えない亀裂が走る。ディッカはそのことごとくを、使い手の動きのみを見て回避してのける。
『成り損ない』が動いた。上体を伏せ、地を這うように駆ける。一直線にダースリッチに襲いかかる『成り損ない』を、アテンの腕が掬い上げ、地面に叩きつける。『成り損ない』は獣じみた動きで跳ね起き、今度は精妙な剣術でアテンの首を狙いに行く。アテンは矢継ぎ早に繰り出される剣を、包帯を裂かれながら拳で受け流す。
ディッカの叫びが大気をつんざく。その絶叫が呪文である、と気づくのは、魔術が行使された後だ。光が雨の如く降り注ぐ、あたりの全てを串刺しにする。ダースリッチのローブが裂け、アテンの包帯が爆ぜる。しかしそれだけだ。致命傷には至っていない……。
いや、ディッカは最初から致命傷など狙っていない。光の矢で敵の動きを封じつつ接近し、剣を突き出し突進する。喉を狙って突き出された剣先を、ダースリッチは鎌の柄で弾き、後退しながら掌をねじった。その手の動きと同期して、地面から軟体動物のような手が這い出てディッカに掴みかかる。今度はディッカが後退を余儀なくされる番だった。
「ええい、せわしない!」
ダースリッチが手招きをした。横たわっていたアンデッド兵が、稲妻に打たれたように跳ね起きて、『成り損ない』に飛びつく。
「来い!アテン!」
アテンは返事せず舌打ちすると、拳を振りかぶった。ディッカは大振りの一撃を、上体を屈めて避ける。
しかし、真の狙いは打撃ではなかった。アテンの包帯が、異形の花のように伸び広がる。
「厄介な魔術だが」
包帯の蛇が鎌首をもたげる。くねくねと空中でねじれ、次々に絡みつき、ディッカの上半身を捕らえる。
「封じさせてもらう……」
包帯を手繰り寄せかけ、アテンはディッカの目に宿る意志の光を見た。咄嗟に離れたアテンの目の前で、神聖魔法の白い光と共に、彼女の手に絡みついていた包帯は、跡形もなく消滅した。
ディッカが顔の包帯を引きちぎり、自由になる。ダースリッチにとっては、その一瞬で十分だった。ダースリッチの魔術が生み出した手が、ディッカの足を掴み、動きを封じた。
「知っていたのならば、教えてくれてもいいのではないかね?」
ダースリッチが、距離を取って戦っていた理由はそれだ。ディッカは呪文を唱えずとも、触れた場所へと直接魔法を行使できる。
「それで死ぬならば貴様はその程度よ」
「私はダースリッチ様と違って、死に覚えができんのだがね」
アンデッド兵を三つに切り裂いて、『成り損ない』が再び動き出す。駆け出した『成り損ない』の剣を受け、アテンは上腕を裂かれつつ、その攻撃を払いのけた。
オジ=ダハーカは苛立っていた。
『つまらぬ……』
ブレスを皮一枚の距離で避け、転がって追撃をぎりぎりで回避する。余波だけで皮膚を焦がされながら、立ち上がる傭兵。
『つまらぬ、つまらぬ!!』
呪文を唱える。今では竜のみが知る古い魔法、一瞬で編み上げられた術式に、人間の魔術師の呪文が危うく対抗する。その呪文は、傭兵だけを守るために唱えられた。魔術師自身は、身を灼かれ命を失った。だが傭兵は生きている。
「戦え!!傭兵殿を死なせるな!!」
先程まで怯えていたはずの兵士たちが口々に叫び、剣を掲げ、弓に矢をつがえる。古竜が爪を一振りすれば、雑草のように刈り取られる連中のくせに。
『貴様らの顔にはうんざりだ!!』
見たいのは絶望。見たいのは恐怖。心折れて地に這い、逃れられぬ死を見上げるまなざし。
『こやつが死ねばそんな顔もできまい!』
怒りのままに振り回した尾が、傭兵の胸板を捉える。確かに骨を砕いた、だが回復呪文が彼を死なせない。衛生兵は希望と憎悪に顔を紅潮させ、邪竜を睨みあげるのだ。
『つまらぬ……』
オジ=ダハーカは完全にうんざりした。翼を広げ、空へと舞い上がる。
「待て!逃げるのか!?卑怯者!!」
飽きただけだ。逃げたわけではない。元より望んだ戦でもない。
『ああ、よいよい。貴様らの勝ちでよい』
契約分の働きはしただろう。どちらが勝とうがどうでもいいことだ、オジ=ダハーカにとっては。
『憂さ晴らしにあいつでも殺しに行くか。あの、東の国の……』
亡剣のアルツァインは、兜を抱え上げ、膝をついた。
「俺はまた……守ってやれなかったのか……」
「傭兵殿、あなたが彼女の死を背負う理由はありません。彼女を死なせたのは我々の弱さです」
兵士の言葉に、傭兵は首を振った。目尻から、はっとするような、大きな涙がこぼれて落ちた。
「行きましょう。二人目の彼女を出してはなりません」
兵士が手を差し伸べる。アルツァインは兜を抱きしめて頷き、立ち上がった。
『成り損ない』の剣が流麗な軌道を描く。独特のステップと共に繰り出される剣技は、未知の舞踏のようだ。なんとか致命傷を避けてはいるものの、猛烈な速度で繰り出される剣に、防戦一方となるアテン。
足を捕らわれながらも、ディッカは猛然と抵抗を続けていた。神聖魔法を次々に唱え、掴みかかるアンデッド兵を切り払う。しかし動けないというハンデは歴然、ダースリッチは魔法の全てを余裕を持って回避し、ディッカに迫る。
傷つきよろめくアテンに、『成り損ない』が飛びかかる。アテンは小さく呟いた。
「ここだ……」
アテンは宙の『成り損ない』を捕らえ、地に叩きつける。渦巻く砂嵐と同期して、ごぼりと地面が蠢く。アテンの術によって生み出された流砂が、『成り損ない』の足を飲み込んでいた。
状況を理解しているのかいないのか、『成り損ない』は立ち上がり、歩み続けようとする。実際それは成功しかけた。踏み出した足に、アンデッド兵が飛びついて払う。もんどり打って転倒する『成り損ない』に、アンデッド兵が覆い被さりしがみつく。更に複数人が砂に飛び込んでいき、『成り損ない』の姿は折り重なったアンデッドたちに埋もれて見えなくなる。
「貴様の首、貰い受けた!」
ディッカの抵抗をかわしきって、ダースリッチは鎌を振り下ろそうとする。
「ぐっ……!」
その体が反り返る。それは最後まで戦闘を求める意思だったのか、それとも人間性の残滓が同胞を認めたのか。砂に埋もれゆく、成り損ない、アレクサンダーが最後に投げた剣は、ダースリッチの背に深々と食い込んでいた。
「死ぬのは貴様だ!」
怯んだダースリッチの隙をついて、その胸にディッカが剣を突き立てた。ダースリッチの手が彼女の喉を締め上げる。ディッカは剣から手を離さず、捻り込んでいく。
「おのれ……!!わたしの手柄……!!」
ダースリッチの指が白い喉に食い込む。剣の柄を通じて行使される、神聖魔法が耐え難い光輝を放つ。
「わたしの……!手柄……!」
ダースリッチは、はじけて粉々になった。『成り損ない』の剣が、乾いた音を立てて転がる。
「死なないのだろう?気楽なものだな」
塵と化したダースリッチに、アテンは話しかける。
「いつまで不死でいられるだろうな……」
ディッカは深く息をつくと咳き込み、マスクをずらし唾を吐いて、再び剣を構える。
「次は貴様だ!!!」
「元気だなお嬢さん。私としては君にそれほど敵意を感じてはいないが」
アテンはざくざくに裂かれた包帯の屑を払い、持ち主に置いていかれた、ダースリッチの鎌を拾い上げた。
「何事も後回しにしてはならんからな……アンデッドとて、経験から学ぶことはあるのだ」
「行けえ!!押せ押せ押せ!!今しかねェぞォ!!」
ヴォルカ将軍の号令一下、ギリセフ軍が鬨の声を上げる。
「怯むなァ!押し返せ!皆殺しだ!!」
コングロードが、ようやく視力を取り戻しつつある目を、しばたたきつつ叫ぶ。
エビルソード軍とギリセフ軍が正面から衝突する。エビルソード軍と、ルミナリア配下を加えたギリセフ軍、兵の数は五分。しかしエビルソード軍の旗色は悪い。視覚を失っている兵が未だ多いからだ。
ムッサ・ヴォルがガチガチと歯を噛み鳴らし、鎧ごと人間を噛み砕く。野獣と化したヘルメが、兵士を薙ぎ払って咆哮する。いくら引き裂かれようとも、人類軍は怯まない。ここを破られれば勝ちを拾う機会はないと知っているのだ。
「ぬぅ……!」
見えておらぬ目、死角より飛んだ射撃に、コングロードがよろめく。
「今!」
ルミナリアが剣を振り上げて飛びかかり……消滅した。
「よう」
魔術師、ププール。転移魔術の使い手である彼は、この時自らを転移させ、突然戦場に現れた。
「えらいことになってるな?」
また斬りかかってきた二、三人を転移させ、ププールは茶飲み話でもするような軽さで言う。
「ちょっと待ってろ。エビルとカースを連れてくる」
魔術師は帽子に手を当てて位置を正し、ちょっと首を傾げた。
「総大将からはあいつらは出すなって言われてるんだが……ヘルノブレスには内緒にしといてくれよな」
そう言うと、彼は来たときと同じように唐突に消えた。
コングロードが拳を掲げ、叫ぶ。
「エビルソォォォーード!!」
その声に答え、エビルソード軍全体が唱和した。
「エビルソード!!エビルソード!!」
彼がいる場所は、戦場のどこからでもわかった。人類の悲鳴が、彼を称えるファンファーレとなり、その来訪を告げ知らせた。
エビルソードが抜身の剣を携え駆ける。その姿はまるで生きた竜巻。緋のマントが翻るごとに、血しぶきが散る。剣が煌めくごとに、誰かが命を落とす。
牙を剥いた騎竜兵が、兵竜諸共に叩き切られ、陣形を組んで突撃してきた兵団は、またたく間に撫で切りにされる。その通り道に立つものは、人間であろうと魔族であろうと、はたまた鋼のゴーレムであろうと平等に屍を晒す。
行く手に剣戟あれば踊り込んで切り伏せ、巨大兵器あれば、護衛兵諸共これを破壊する。エビルソードの行くところ、障壁となりうるものはいない。龍でもなければ巨人でもない、人間大のただ一人の魔族に、あらゆる強豪が、あらゆる兵器が、あるはずのない敗北を喫す。
彼の到来を恐れ、兵は道を開ける。開けないものはその場で死ぬ。エビルソードの存在が、戦況を変えつつあった。
カースブレイドがエビルソードの隣を走りつつ、苦々しい表情で愚痴をこぼした。
「拙者が四天王であれば……」
襲い来るは魔族の巨体。人間側についた同族にも躊躇なく、カースブレイドの剣が振るわれる。
「このような体たらくにはなっておらぬ!」
その剣はエビルソードとは対照的に、まったく流麗であった。水のように刃先が流れ、魔族の体はするりと両断される。真っ二つに分かたれた左右の体が、まだ空中にあるうちに、その間を駆け抜ける。
「ホントかよ?お前麻雀強かったっけ?」
エビルソードの肩に、小鳥のように止まっているププールが皮肉っぽく問いかける。
「拙者ならばなァ!」
一閃。
「司令官一人消えた程度で」
一閃。
「全軍崩壊するような制度にはせんのだ!!」
剣が閃くごとに、その軌跡にあったものは、するりするりと二つに裂かれる。元からその形であったように。
「まァカースの言うことが正しいよな、本来はよ。できるかは置いとくとしてよ」
ププールは頷いた。
「っと」
並んで走っていた二者が、さっと左右に分かれた。二者のちょうど中間を光の矢が焼く。カースブレイドは直進を続け、エビルソードは方向を変える。四天王最強の男は二の矢、三の矢の到来を、予知するように正確に回避し、連射を躱しながら走り続け、あっという間に魔術師に肉薄し切り裂いた。肩の上でププールが弾む。
「もっと右だぜ」
エビルソードは小さく頷くと、一瞬も止まらず速度を上げて、たちまちカースブレイドに追いつき、追い抜き……足を止めた。
「おまッ……どした?」
「あそこだ」
寄せ来る兵を斬り捨てながら、エビルソードは風上を指差す。微かに、微かにだが、そちらの方から、人声のどよめきと、魔族の叫び声が聞こえてくる。
「あそこへ行く」
エビルソードは駆け出した。今までに倍する速度で走り始め、あっという間に遠ざかっていく背に、カースブレイドが怒号をぶつける。
「エビルソード!!どこへ行く!!」
「任せる」
「貴様、責任感というものはないのか!?」
「……フフ……」
エビルソードは含み笑いだけを残し、まっしぐらに駆け去っていった。
「ああなったらダメだな。行こうぜカース」
ププールが転移してきて、カースブレイドの肩にひょいと飛び乗った。
「貴様はエビルソードを甘やかしすぎる!!」
「カースを信頼してんだ、わかってやれ」
ププールが肩をすくめる。
「これは信頼ではなく、押し付けと言うのだッ!!」
「っかしいなァ、コングロードならこれでコロッと騙せんだけどなァ」
「あやつと拙者を一緒にするな」
「コングロードもできる男だぜ?」
ププールは再び肩をすくめた。
「ゆくぞ!これは人類の未来を決める戦いだ!!」
勇者たちの声が大気を震わせた。ゴーレムの火球を氷の矢が打ち消し、獣人の突撃を戦士たちが捌く。ヘルノブレス軍とエゴブレイン軍、いずれも精強たる四天王軍と交戦し、勇者連合軍は優勢に戦っていた。
軍の中核を担うのは、一人の男。彼の剣が閃くたび、魔法が唱えられるたび、魔族が命を散らす。
スプドラート、異界から来たと噂される勇者。つまらなそうに、哀しそうに、熱意なく剣を振るう。
「……」
その熱意なき剣の一振りが、魔族を肉塊に変えるのだ。果物を切り取るように、野菜を刻むように、単なる作業として、淡々と命を奪う。
「我らの勇者!」
「勇者!スプドラート!!」
「やめてくれ……俺を勇者と呼ぶのは」
兵たちの歓声が響き渡る。スプドラートは澱んだ目をして俯いた。
潮が引くように、歓呼の声が悲鳴に置き換えられていく。
「エビルソードだ!!」
「エビルソードが来た!!」
一際高い悲鳴と共に、赤い竜巻がなだれ込んで来た。今声を上げていた兵が、血飛沫を吹き上げ倒れる。若き勇者が抗う剣ごと真っ二つにされる。スプドラートは暗い目を見開き、よろよろとその進路に歩み出ると、剣を持ち上げた。
エビルソードが打ち込んだ剣を、スプドラートは止めてみせた。
「……」
「……!」
再度振り下ろした剣も、スプドラートには届かない。スプドラートが呪文を呟く。大蛇の群れのような稲妻が吹き上がり、意思を持ってエビルソードを襲う。エビルソードは自在に向きを変えるそれを翻弄し、消滅させる。
エビルソードが剣を振り下ろす。スプドラートが弾く。再度の剣。弾く。返しの一刀。回避し、袈裟がけの軌道で剣。
エビルソードは、実にうれしそうに、楽しそうに、剣を振るい始めた。スプドラートは辛そうに、哀しそうに、剣を返した。
「なんということ」
若い勇者の一人が喘ぐ。
「神話かこれは……」
デモンスピアーが呆然と呻いた。
エビルソードの剣は、一刀たりともスプドラートを傷つけない。スプドラートの魔法は、一筋もエビルソードには届かない。二つの剣の生み出す渦の中、誰も割って入れない。
エビルソードとスプドラート、両軍の最高戦力の戦いは、互いを釘付けにして、膠着状態となっていた。
金属音を立てて、鎌と剣がぶつかり合う。使い手は両者共、かなり傷ついており、動きは精彩を欠いた。
「扱いづらい武器だ。ダースリッチめ、なぜこんなものを振り回しているのか」
鎌を素振りして、アテンがこぼす。
「ならば捨てて、素手で渡り合うがいい」
「君が魔法を捨てると言うなら、そうしても構わんのだがね」
会話を交わしながら息を整え、そして再び戦闘を始める。いささか滑稽かつ、痛々しいありさまである。
「ディッカ殿!!」
「団長!!」
砂塵の中から声が響く。進軍を停止したダースリッチ軍を、聖騎士たちが追ってきたのだ。砂まみれの外殻を軋ませながらゴーレムが現れ、アテンを狙って武装を展開する。
「卑怯とは言ってくれるな」
スフィンクスが飛びかかり、前肢の一撃でゴーレムの頭を叩き落とす。雌のスフィンクスと、頭の欠けた雄のスフィンクスとが主の両側に立ち、王の衛兵たるミイラたちがその背後を守る。
「では君も私を卑怯とは言うまいね」
睨み合う二者。ふと、ディッカの目から、涙のように血の一滴が零れる。彼女はそれを手で擦り取って、顔をしかめた。
「チッ……!」
ディッカが大声で指示した。
「総員退避!!鮮血卿だ!!」
聖騎士を追おうとするミイラたちの前に、新たなゴーレムが立ちふさがる。ディッカは去り際に、殺意の篭もった視線を向け、一言言い捨てていった。
「次は殺す」
砂嵐が蠢く。彼女らの進路の砂塵が割れて道を作り、通り過ぎると同時に閉じて、その痕跡をかき消した。
「私もそのつもりだよ。次の機会まで生きていてくれたまえ」
砂塵の中から現れた、ワースレイ翁の魔術がゴーレムの胴を穿つ。彼らの周りだけはぽっかりと砂嵐が晴れ、晴天が見えていた。
「おお、アテン殿。これだけの範囲と威力、貴殿の魔術であろうと思っておりました」
「ダ、ダースリッチ様は?」
「死んだ」
ブロークン・レギオンの問いかけに、アテンは簡潔に答えた。
「また復活するのだろう?」
「それはそうですが……」
「ふむ!!!あの魂、名うての聖騎士と見た!!」
総身に血を浴びて上機嫌なゴアが叫ぶ。
「血を搾り取って魔王城への手土産としようぞ!!」
「待っていただきたい」
アテンは不服そうに異議を唱える。
「私の通り名をご存知でしょう」
「『リベンジャー』ですな」
きょとんとするゴアに代わって、ワースレイが答えた。
「そう。彼女は私の獲物です。譲りはしない」
「貴様、邪魔立てする気か?」
「貴方が私の邪魔をされる気なのでしょう」
聞き取れていないながらも、不服の気配を察知したゴアが睨みつけ、アテンもそれに応え睨み返す。ワースレイ翁はやや困惑し、そのストレス故か、なにがあったのか一瞬忘却した。
『聞こえていますか!?今何が起きていますの!?』
唐突に繋がった通信魔法に、ブロークン・レギオンは飛び上がる。
「ヘルノブレス様!?」
『何が起きていますの!?報告なさい!!』
「ダ、ダースリッチ様……死亡!」
再びの問いに、ブロークン・レギオンは慌てて答えた。
エビルソード軍と交戦中のギリセフ軍後方、ひゅうと風を巻いて剣が走る。音も悲鳴もない、静かな死であった。さくりさくりと数人が斬られ、人間が存在を認知した時には、もうその剣は部隊の中で振るわれていた。
「エビルソードだ!!」
「エビルソード!!」
悲鳴が上がる。エビルソード軍の鬨の声を聞いて、浮足立っていたところでの一閃に、人間軍は恐怖に駆られた。後方から切り刻まれ、軍勢が真っ二つに裂けていく。
「エビルソード!!エビルソード!!」
一方魔族側は興奮し絶叫する。戦闘の勢いが増し、人間軍をみるみる押し返してゆく。
「エビルソードだ!エビルソードが来たぞ!!」
「エビルソード!!エビルソード!!」
人間軍を突っ切って魔王軍側まで、独力で道を切り開いてきたカースブレイド。エビルソード軍の歓呼の声はその姿を見た途端、ぴたりと静まり、遅れて人間軍のパニックも治まった。
「カースブレイドじゃねえか……」
人間軍から漏れる、気の抜けたような声。カースブレイドは無言で剣を振るった。ぴしゃりと血が飛ぶ。
「カースブレイド!!」
コングロードが慌てたように叫び、全軍が唱和した。
「カースブレイド!!カースブレイド!!」
カースブレイドは、称賛を浴びながら肩を落とす。
「拙者なんかみじめじゃない?」
「カースは出来る男だよ。エビルよりずっと立派だぜ、ホントさ」
「慰めはいらぬ……」
カースブレイドはうなだれた。
『今何が起きていますの!?』
「え?え?オエッ……」
唐突に通信魔法が声を上げる。エビルソード軍についていたブロークン・レギオンは、もうかなり訳がわからなくなっていた。並の人間程度の体力しかない存在が、エビルソード軍のムチャクチャな行軍に振り回されれば当然と言える。
「えーと……?エビルソード様は行方不明です……」
『ダースリッチ様死亡!』
『エビルソード様行方不明』
『現在勇者連合軍と交戦中!状況は膠着状態です!』
髪はぐしゃぐしゃに崩れ、肌もあらわな姿で帰還したヘルノブレスは、戦況を耳にして、肩を落とし項垂れた。
「全軍撤退……ですわ……」
こうして、ダイラント平原の戦いはのろのろと治まった。人軍魔王軍双方共に、何も得たものはなく、兵も兵器も物資も金も大量に失われた。復活したダースリッチは事後処理に追われ、その日のうちに四回ほど死んだ。
「フフフ……」
とぼとぼと帰路につく軍の中、一人上機嫌なエビルソードが思い出し笑いを零す。
「楽しかったか?」
ププールの問いに、エビルソードは子供のように頷いた。
「まあ、なんか一つでもいいことがあったなら良かったよな……」
キャラクター:「リベンジャー」アテン
すべてを焼き尽くす長い昼が終わり、灼熱の陽射しはようやく力を弱めた。じきに夜が来る。
砂に残る足跡に、深く影が溜まる。小さな蠍が足元から飛び出し、慌てて駆け去っていく。すべてが燃え尽きる昼と、何もかも凍りつく夜の間に、生き物たちは生を紡ぐ。この砂漠において、生命に許される時間は短い。
アテンは首をもたげ、目的のものを見つける。砂丘にたたずむ人影がひとつ。さして大柄でもないその女の影は、赤く染まる砂に長く尾を引き、存在を主張していた。
「何を見ているのだね」
勇者は振り向きもせず、独り言のように答える。
「きれいだ」
「見た目はそうかもしれんな」
熔けてガラス化した砂が、竜の吹いた焔をそのままに凍てつかせたように、夕日を受けて緋色に煌めく。数百年の眠りについていた不死の邪竜アポピスは、目覚めるなり、村一つを焼き尽くして姿を消した。きらきらと宝石のような輝きには、灰と化した人々の暮らしが融け込んでいる。
「夕焼けの話だ」
「ああ」
この日最後の陽光に照らされて、砂漠が黒と緋に二分される。砂丘に触れんばかりに、低く棚引くちぎれ雲は、金色と薔薇色にふんわりと色づき、藍から黒に変じつつある空を彩る。この雲は雨を降らせはすまい。
「そうかね……」
アテンは勇者のまなざしの先を見た。そう言われれば確かにそう、この色彩は美しいのかもしれない、と理性を用いて考える。あまりに日常となったその光景に、感情は動かない。今勇者に言われなければ、夕焼けが存在することにすら、気づかなかっただろう。
「意外な情緒があるものだな、勇者殿」
「情緒など、おまえに見せても仕方がないのでな」
「いや、知っておきたいね。君を殺した後、思い出すよすがになるだろう」
勇者は眉をひそめ、振り返る。筋張った肉体、肌を覆う傷、ごつごつとした鎧をまとい、腰に不死殺しの大剣を佩いて、まるで男のような出で立ち。身につけているもののうち、色のあるものといえば、首飾りだけだ。女らしい美しさという点では、かつて王宮を歩いていた美姫たちとは比較になるまい。
「なら話さん。お前に思い出されても、うれしくなどないからな」
しかし彼女は美しかった。生きとし生けるものを焼き焦がす砂漠の太陽のように、オアシスに潜む豹のように。砂漠に棲むものはみな知っている。恐ろしいものほど美しいのだ。
「そうだろうね」
砂漠の怪物は、一つきりしか残されていない目を細めると、地平線に目を向けた。陽は沈み、黒く闇に沈んだ大地の上に、金色の光の名残だけが淡く漂う。空では気の早い星が、もうまたたき始めている。
「私はここで何百年も過ごした」
彼はそう言ったきり、長く黙っていた。夕焼けの残した光がすっかり消え去り、女王の宝石箱よりもなおきらきらしく、輝く星が空を満たすまで。
「夕焼けも、星空も、美しいとはもう思わないのだよ」
「飽きたのか、アテン。二度目の生に」
古き王は何も言わず、口の端だけでひそやかに笑った。
「殺してやろうか」
「王というものは強欲でね。飽きていようがいなかろうが、自ら何一つ手放しはしない」
そういうとアテンは笑い出す。およそ人間らしくない、地鳴りのような低音である。
「それに君、あの邪竜を、私の助力なしに一人で屠るつもりかね。我が民も黙ってはいないだろうよ」
「元よりそのつもりだったが?」
「そうかね、そうかね……」
彼は呵々と笑うと、表情に笑いの気配を残したまま、こちらに向き直る。
「君を助けてやろう。みすみす奴に喰わせはしない。君の首は私のものだ」
「私はおまえの首などいらない。砂漠に捨てて帰るさ」
「おや、振られてしまったな。元より口説いて物にできるとも思っていないがね」
アンデッドの男は鋭い歯を見せて、愉しそうにくっくっと喉を鳴らした。その包帯の下には、どんな肉体があるのだろう。見た目通りに干からびた骸なのか、それとも異形の怪物に変じているのか。
「つまらん冗談だ」
「私は王だったから、冗談の才など必要なかったのだよ。あの頃は私が命ずれば、砂漠の蠍だって笑い転げただろう」
金色の瞳が瞬く。その眼の向こうに、痛みの気配を感じるのは、感情移入のしすぎだろうか。
「今のは少しおもしろかった」
「お褒めに預かり光栄だよ、勇者殿」
アテン、砂漠の怪物。おまえの孤独を知っている。そう遠くないうちに終わらせてやる。
「さて、探索は明日だ。今日のところは休むがいい」
アテンはそう告げ、先に立って歩き出す。その背に剣を突き込んでやろうかという思いが、頭の隅を過ぎるも、黙って後に従う。
獣の遠吠えのような風音が響く。あるいは砂漠の砂に身を潜めた、不死の邪竜の咆哮やもしれぬ。または命を奪われた民たちのすすり泣きか。吹きすぎた風に、勇者は身震いした。アテンが振り向かぬまま、見ているかのように言う。
「砂漠の夜は寒いぞ。何か着たまえ。生身の人間にはこたえるだろう……」
キャラクター:「リベンジャー」アテン
サラバを二分していた大河が流れを変えてのち、そこに住んでいた者たちは、次々に砂漠を去っていった。
覇を競った魔族たちは戦いやめ、人間共は砂漠を後にし、神々のおわした神殿は、鼠や豺狼の棲家となった。残った者は死者と魔物ばかり。
サラバは長く死の土地だった。
だが、神話だけは生きていた。竜が死ななかったからだ。
竜は目覚めるなり、村を一つ焼き払った。身を覆っていた砂を払い落とすのと同じくらい、自然な動作だった。
不死の邪竜、アポピス。神話の怪物から名付けられたその名を、竜は知らなかった。人も魔も神々も、彼らから与えられた名も、竜にとって記憶すべき対象ではない。竜は不滅。かつてあり、今あり、これからもあるもの。その他の存在は、すべて、そうではない。
煙が立ち込める中、竜は動き始めた。鱗の下で、ガラスと化した砂が砕ける。鱗が剥がれても、竜は頓着しない。負傷など恐ろしくない、人間も恐れはしない。魔族も、神も、同様に。
竜は知っていた。自身が不滅であることを。
サラバ砂漠を駱駝が駆ける。駱駝は瘤のある背に、荷と、女をひとり乗せている。
数日前まで、砂漠の外からでも見えたという煙は、今は鎮まっていた。だが目的地は近い。
女は駱駝の首を叩いて、歩調を緩めさせた。木々や建物のない砂漠に、視界を遮るものはなく、二者は実際に会話を交わすよりも遥かに前から、互いの存在に気づいていた。
「そこをどけ、アテン。今日はお前を斬る暇がない」
「殺し屋稼業はやめたのかね、勇者殿」
サラバ砂漠の死せる王、「リベンジャー」アテンは、からかう調子で答えた。勇者は尖った声を返す。
「お前が飼っている、あの蛇に用がある」
「君の言いたいことはわかっているよ。私の仕業ではない」
アテンは肩をすくめた。
「あれはこのサラバ砂漠に似ている。そのもの自体に属し、危険で、不滅で、除くことができん」
金色の目が、勇者を見上げる。
「……挑むつもりかね」
「そうだ」
勇者は間髪入れずに答える。アテンは目を見開いて見せた。
「やめておきたまえ。あれは殺せんのだ」
「殺せない?気弱なことを言うじゃないか。砂漠の王とやらが」
棘のある返答に、アテンは苦笑した。
「殺せんとはね、死ぬことがない、という意味だ。過去この砂漠に棲む者が、何度あれを切り刻んだことか。頭を潰し、心臓を引きずり出し、細切れにして火にくべた。だが蘇る。あれは不死だ」
「不死か。ふん」
勇者はつまらなそうに、剣の柄に手を触れた。不死殺しの聖剣、死のなきものに死をもたらすもの。
「私を誰だと思っている?」
「『不死殺し』様だね。なるほど」
古の王は笑いを消し、目を眇めた。
「死ぬぞ」
「死なんさ」
「やめてくれ。君の首は私が予約しただろう」
「何も約束した覚えはない。私の首は私のものだ」
死せる魔族は、ふうっと人間じみたため息をついた。そして、再び勇者を見上げて問うた。
「……殺せるかね」
「殺す」
勇者は決定事項を示すように答える。アテンは小さく首を振り、その後一つ頷いた。
「よかろう。私も付き合ってやる」
「今何と言った?」
勇者は顔をしかめる。その表情を見て、アテンの口元が意地の悪い笑みを浮かべる。
「助けてやろうというのさ。砂漠の王でも、魔王軍でもなく、サラバ砂漠のアテンとしてな」
包帯に包まれた手が、駱駝の轡を捉える。
「来たまえ。案内しよう」
「不思議に思ったことはなかったかね。この魔物蔓延るサラバ砂漠に、人が住む土地がある。我ら魔族が足を踏み入れず、臆病者のトットリアも近づかん、ルタルタさえも寄り付かない。そんな場所があるものか。……あそこはね、竜の巣なのだ」
アテンは歩きながら、横目にちらりと、駱駝の上の女の顔を見上げた。
「不死の邪竜、アポピス。奴がいつ眠り、いつ目覚めるかはわからん。何百年か、十年か、一日か。火山の上に住むようなものだ。我々は近づかんし、トットリアも知っていた。ルタルタのことは知らんが、どこかで耳にしたのだろうな。人間は百年も生きないからな、教える者がいなければそのままだ」
「なぜ教えてやらなかった」
「私が教える義理はなかろう。文句はトットリアに言うがいい。……着いたぞ、ここだ」
駱駝が嫌がって、唸り声を上げた。勇者は珍しく、言葉を無くした。
「これは……」
「悼む気も起きるまい。奴の炎はこれだけのことをする。不死だけのでくの棒とでも思っていたかね」
あたりを埋め尽くすのは、一面のガラス。ガラス化した砂が太陽を照り返し、宮殿も色を失うほどまばゆく、きらきらと輝く。建物の残骸も、人の骨もない。ただ美しく輝くのみだ。
「怖気づいたかな?」
「決意を新たにした。必ず殺す」
女はきっぱりと答えた。魔族は低く笑う。
「なるほど、すばらしい勇気だな。勇者を名乗るだけのことはある」
「奴を探さねばならんな」
「なるほど、すばらしい知性だな。このサラバで、手当たり次第砂をさらうつもりだったと」
アテンは呆れた表情を作って見せ、ガラスの欠片の中から、黒い鱗を拾い上げた。次いで何かを探すように首を巡らせ、岩の影に隠れていたコブラを掴み上げる。
「こいつがいい」
コブラは毒牙を剥き、身をよじって暴れたが、アテンは頓着せず、その口に鱗を咥えさせた。背に太い指が文字を刻み始めると、蛇は硬直し、されるがままに身を任せる。
「見たまえ」
コブラがそっと砂の上に放たれる。蛇は舌を出しもせず、明らかに目的のある動きで、いっさんに一方向に走り出す。
「古い呪いだよ。これはもう蛇ではない、呪いの器だ。こいつ自身か呪いの相手、どちらかが死ぬまで、延々と獲物を追い続ける。この様子ではまだ遠いな」
「なら急がねばならんな。行くぞ」
アテンは再び蛇を掬い上げ、左手に絡ませた。
「そろそろ夜だぞ、落ち着きたまえ。私はいいが、君は休まねばならんだろう」
夜半、勇者は目を覚まし、煙の匂いに気がつく。
枕元を確認する。あれから数日経つが、壺の中のコブラの様子は変わらず、一方向に向けて頭をもたげている。
立ち上がる。犬のように鼻をひくつかせて匂いを辿り、煙の出処に行き当たる。
「お前、煙草など吸うのか」
「定期的に燻しておかねば傷むのさ。いわば人間の干物だからね、私は」
不死者はパイプを口から離し、薄く笑った。
「君はやらんのかね。適度な悪徳は寿命を延ばすぞ。まあ、寿命などないのだがね、私には」
冗談に勇者は反応しない。アテンは自分で笑い、再びパイプに口をつける。
「他に楽しみがないのだよ。私は飲まず、食べず、眠らない……もう酒の味も、夢の安らぎも思い出せない」
煙を伴って、長く吐息が吐き出される。声はもう笑いを含んでいない。
「君はどうだ。人生を楽しみたいと思わないのか」
彼の目は砂漠に向けられていた。その隣に立ち、並んで砂漠を見つめる。低い声は穏やかだった。
「竜殺しなど楽しいものか。好いた男と子を持つなり、気の合う友と店を持つなり、いくらでも幸せに生きる道はあろうよ。戦さを望むのなら、兵士になればいい。君の腕ならば、王家とて喜んで召抱えてくれようさ。なぜ勇者などやっているのだね」
砂漠は静かだった。蘇る記憶を、誤魔化しようがないほどに。パイプから上がる煙が、ゆらゆらと目の前を行き過ぎる。他に動くものはない。
「私が勇者をやめたなら、誰が怪物を殺すんだ?誰が報われぬ死者のために戦う?」
アテンは答えなかった。
「お前を、誰が殺す」
やはり答えはない。過去に何があったかなど、アテンは聞いてこない。
剣が鱗を裂いて突き刺さる。感じたことのない、嫌な感触だった。
だが、竜は何物も恐れはしない。何を恐れるべきかもわかっていないのだ。竜は無表情に頭を巡らせ、二体の敵を睥睨した。
「こいつは不死ではない」
ちっぽけな女が宣言した。
「私が殺すからな」
「勇敢を通り越して傲慢だな、勇者殿。こいつは神話の時代から砂漠にいるというのに」
大柄な魔族が肩をすくめる。その十字に割れた瞳孔には、見覚えがあるような気がした。
竜は息を吸い込んだ。覚えておく意味はない。竜に挑む者は、皆過去となる。
「来るぞ」
砂が巻き上がり壁を作った。竜の吐息が砂の壁を溶解させる。赤く溶けた砂の後ろから、疾風のように人間が駆け出す。炎の名残りをまとわりつかせるあぎとに向けて、鋭く剣が走る。
再び嫌な感触。竜は頭を振る。その一振りで、人間は軽く跳ね飛ばされ、木切れか何かのように地面を転がった。
「君!」
「こんなものでは私は死なん」
「ああ、そうかね」
素早く起き上がった人間が、顔に手を当てた。傷が塞がってゆく。竜は気がつく。剣に切られた傷が塞がらない。
「古いだけなら石ころでもそうだ。死んでからなら思い出してやる。何なら悼んでやってもいい。今は害獣に過ぎん」
勇者は獰猛に唸り、不死殺しの剣を構える。
「砂漠は竜のものでも、お前のものでもない。生者のものだ」
「リベンジャー」アテンは再び肩をすくめた。
「ということだ。恨んでくれるな」
竜は吼える、苛立ちによって。竜は怒ったことがない。鋭い歯列が毒液を飛ばす。
女は躊躇しなかった。疾走し、毒液を潜り抜け、顎の下に剣をねじ込もうとする。竜は首を折り曲げて剣をかわし、その体に喰いつこうと口を開けた。
横から邪魔が入った。紐のような何かが顎にまとわりつき、強引に閉じさせる。
「何という無茶を」
魔族は呻いた。包帯が竜の顎を、ぎりぎりと締め上げた。
「死ぬ気かね」
「死ぬ気はない。言ったはずだ」
包帯を引きちぎり、自由になる一瞬前に、左目に剣が食い込んだ。竜は頭を振り上げた。宙に浮いた女に牙を引っ掛ける。腕が派手に裂け、血が吹き出る、女は傷つきながらも、剣を振るい続ける。首の鱗に大きな裂け目が走った。
「本当に死ぬ気か、馬鹿者」
反撃の一咬みを試みる顎に、拳が叩き込まれる。竜は怯んだ。
「死なんよ」
女はこともなげに答えながら、自身に回復魔法を使う。
「ほらな」
「ああ、そうかね!」
魔族は苛立ち混じりの声で答え、再度拳を振るった。
鱗が裂け、血が流れる。剣で開いた傷から、失ったことのない何かが失われていく。何か尋常ならざることが、この身に起きている。
だが竜は逃げない。逃げ方を知らないのだ。
竜はあぎとを開いた。喉の奥で炎が燃える。毒牙と炎、二つの死。
人間が飛び込んでくる。銀色の閃きが走る。
この日まで竜は不滅だった。
砂の上に放たれた蛇は、ちらちらと緋の舌を踊らせる。しばらくとぐろを巻いて警戒していたコブラは、やがてさっと身を伸ばし、物陰に滑り込んでいった。
「死んだか。何千年生きても、死は一瞬なのだな」
「不滅のものなどない」
勇者は答える。回復魔法で塞がってはいるが、肌にはいくつも真新しい傷ができている。アテンは目を眇めた。
「これはサラバ砂漠のアテンの言葉として聞いてほしい。勇者などやめたまえ」
勇者はむっとしてその顔を見つめた。金色の目は真剣だった。
「君は無茶をしすぎる。長生きできんぞ」
「長生きしてどうなる?おまえのように、砂漠を何百年も彷徨うなどまっぴらだ」
アテンは笑い出す。最初の一瞬はどこか寂しげに、後は楽しげに。
「そう言うと思っていたよ。そうでなくてはな、勇者殿。魔王軍のアテンは君の首をいただく。……今ではないよ、やめたまえ」
剣の柄に手をかけた勇者を見て、アテンはわざとらしく後退って見せた。
勇者は竜の頭に手を置いた。一言、二言、祈りの言葉を呟く。こいつは化け物だったが、悪意でそうしたのではなかった。結局のところ、こいつはただ人間ではなかっただけなのだ。
「何をしている」
「悼んでいるのさ。言っただろう、死んでからなら悼んでやっていいと」
「ほう。君はなかなか未知の部分が多い」
魔族の片方だけの目が、おもしろがるような表情を浮かべる。
「お前だって、死んでからなら思い出してやるさ」
「もう死んでいるよ、勇者殿。それを聞いてどんな顔をすればいいのだい、私は」
キャラクター:「リベンジャー」アテン
「ガッ……」
肋骨の間に剣が突き込まれる。人間であれば即死の傷。だがアンデッドは死なない、たとえそれが不死者にとってさえ致命となる、不死殺しの剣であっても。
「くっ……」
咄嗟に柄に包帯を絡めて引きずり寄せ、剣をむしり取る。勇者は即座に短剣を抜き放ち、戦闘に備える。身構えようとしたが、体が言うことを聞かなかった。片膝をついて、勇者の姿を見上げる。
「ここで終わりだ、アテン」
勇者の側も、相応に傷ついている。血にまみれ、足を引きずり、回復魔法を唱える魔力さえ尽きている。しかし、そのまなざしは殺意に満ちていた。他人事のように称賛する。人間とは、なんと強靭でいられるものだろう。
「勝ち誇るのはまだ早い。私は……」
無理に絞り出した声は、そこまでで音にならなくなる。首を振る勇者が、どこか哀しげに見えたのは、こちらの感傷のせいか。
「終わりだよ、アテン」
剣を構える彼女の背後に、何かが落ちているのにふと気がつく。いつ死んだものか、白く乾涸びた人の骨が一つ、二つ、砂に埋もれている。
「……来い……!」
魔術に応じ、下顎や片腕のないスケルトンが、砂の中からよたよたと立ち上がった。
「何だと!!まだそんな力が!?」
勇者にまとわりつくスケルトンたちを置いて、アテンは逃走を試みる。足止めにもならないと半ば覚悟しつつ、最後の悪あがきとして。死んでから時が経った骨から、即席で造ったアンデッド。まともな能力は望めない。知性は皆無、目の前のものに攻撃するだけだ。戦闘力は野犬にも劣るだろう。
「忘れるな。君は必ずこの手で殺す」
そう言い捨て、逃げ出そうとして、よろめく。傷から力が流れ出ていく。全身の感覚が遠くなる。
「待て!逃げるな!……待ってくれ!」
アンデッドは概して痛覚が鈍い。痛みというよりも、虚無が侵食してくるような感覚におののく。
「行くな!行かないでくれ……決着を!アテン……アテン!!」
一歩ごとに力を振り絞って進み、やがて這いずるようにして、砂と屈辱にまみれて隠れ家に逃げ込む。すぐに追いつかれるだろうと思っていたが、勇者は来なかった。不思議に思う気力もなく、瀕死で横たわりながら、復讐の意志だけは手放さずにいる。
必ずこの手で殺す。その意志が、ほとんど二度目の死を迎えかけているアテンを、現世に留めた。
配下のアンデッド共に命じ、勇者の情報を得たのは、ようやく身体を起こせるようになってからだった。
「死んだだと……!?」
馬鹿な。君が死ぬはずがない。この目で見るまで信じるものか。
傷つき、未だまともに動かない体を引きずって、アテンは戦いの地に戻った。
勇者ははたしてそこにいた。最後に見た場所から数歩も離れない位置に、白い骨を身体の上に散らして、横たわっていた。
「馬鹿な。君が、こんな……」
何日も経った今でさえ、死力を振り絞って、抗った跡が見て取れる。こんな操り人形にも等しいものを、君が倒せないはずがない。そのはずなのに、なぜ君はこんなところにいるのだ。
「こんな……惨い死に方を……」
何かを掴もうとするように、干からびた腕が前に突き出されている。乾燥に伴う腱や靭帯の収縮は、死体に異様な姿勢を取らせることがある。だがその姿は、去りゆく敵に追いすがろうと、屍になってもなお、もがいているかのようだった。
あの脆い兵士を、打ち払えないほど弱っていたのだ。戦い続けていれば、倒す目もあったかもしれない。それとも強い彼女のことだ、やはり勝ち目はなかっただろうか。少なくとも、あの日逃げてさえいなければ、あの美しく猛き勇者は、こんな惨たらしい死を、迎えずに済んだはずだ。
失われた首の断面から、噴き出す血のように、糸の切れた首飾りが、砂の中に散っていた。顔がわからなかったのは、むしろ救いかもしれない。首が残されていたならば、砂漠の貪欲な生命たちは、その顔を面影が残るかたちには、留めておかなかっただろうから。
「ダースリッチか」
首を持ち去った者に思い当たり、その名を呟く。復讐せねばならないと、記憶の内に残る、過去の自分が言う。だが憎み方がわからなかった。誰を憎む理由があるだろう。君を辱めたのはこの私だというのに。
「すまない」
首飾りの石をかき集める。手の中で石がぶつかり合い、責めるように乾いた音を立てた。
「すまない、すまない……」
指の間から砂がこぼれ落ちる。この手で殺すはずだった。またはその手に殺されるはずだった。穏やかな決着など、あるはずもなかった。
「すまなかった……」
だが、こんな。こんな終わり方は。
それから後の日々は、影の中にいるようだった。ダースリッチが何やら功績を上げたという。その能力を認められ、四天王の座を手にしたという。一度は渇望した座だった。今はどうでもいい。
そして左遷の報が下り、誰も来ない砂漠に閉じ込められる。名誉も喜びも、何もない日々。屈辱も、報復の意思も、感じないではなかったが、しかしその痛みさえもが、今のアテンにとっては、遠いものだった。
砂を噛むような日々の中、唯一の日課として、アテンは砂丘に立ち、夕日を見る。日が沈み、地平線の残照が消え去って、砂丘に夜が降りてくるまで。
砂漠の夕焼けを美しいとは、やはり思わない。しかし、この景色を、美しいと言った人を知っている。ここに立っていた彼女の声を、記憶の中から呼び起こす。
『お前に思い出されても、うれしくなどない』
すまない。私は毎日、君を裏切る。