昔、強くて皆に慕われている父上は憧れの存在だった。 勇者としての数々の伝説も、国民の熱狂に押し上げられる形でやってるアイドルも、どれも好きだった。 だが、いつからだろう…そんな父上の姿が素直に尊敬できなくなったのは… 実際の父はどう見ても向いてない王様を必死に演じ切り、他国の王たちからは新興国の若造と侮られている。 アイドルとしての活動だって熱狂しているのは上の世代ばかりで子供たちからの視線は結構冷ややかだ。 (ライブは楽しいので自分も参加しているが…) 全て理解した上で、今の父上はなりふり構わず玉座にかじりついてなんとかレンハート勇者王国という国を保っている。 それはラーバルの目には酷く不格好で滑稽な姿に映っていた。 * * * * * * *  皇帝レストロイカは深く溜息を吐き、目の前で縛られている少年を玉座から睥睨する。 少年は特に悪びれた風もなく縛られたまま器用に片膝をついて最敬礼、上目でちらりと皇帝の様子を伺う。 そんな二人の間に立ち、大臣マルークが事情を説明した。 「陛下…滞在している勇者パーティと街で一悶着を起こしていた不良少年を捕らえたところ、なんとこの者…いえ、この方は…」 「レンハート王家の者だろう、知っている」 大臣の報告を遮り、若き皇帝は呆れた声色で言い放つ。 その少年は…ラーバル・ディ・レンハートは大仰に芝居がかった仕草で顔を上げ、不敵にニヤリと笑ってみせる。 「私のことを既にご存知とは恐悦至極…しかし改めて名乗っておきましょう、私の名はラーバル・ディ…」 「レンハートに送り返せ、今すぐにだ」 「かしこまりました」 「あっ…ちょっ…聞いてくださいよ陛下っ!」 名乗りを無視されて慌てるラーバルにレストロイカは冷え切った目を向ける。 あまりに冷酷な視線に一瞬怯むも、それでも彼は負けじと一歩踏み出し玉座へと身を乗り出した。 勇者たちには毎度のごとく一蹴されたが憧れの人物と会えた千載一遇のチャンスだ。逃すわけにはいかない。 「陛下…私は陛下に御師事を頂きたくはるばるこのサンク・マスグラード帝国までやってきたのです」 「師事だと…?」 「はい、血錆の処刑剣を携えて国に巣食う悪臣どもを斬りまくった陛下のカッコ…武勇伝は他国でも広く知れ渡っております」 その時、その言葉を聞いた若き皇帝の瞳が虚無の色を映したことにラーバルは気付かなかった。 「陛下の魔剣技…是非私にも伝授して頂きたく今ここに推参した次第であります!」 レストロイカは何かを言おうと口を開きかけ…やめた。子供に何を言っても無駄だと思ったからだ。 代わりに彼は心底呆れた口調でラーバルを嗜める。 「お前の父に教えて貰えばいいだろう…俺はあの人ほど強い人間を他に知らん」 「…父上は……イヤです…」 「何故だ?」 「勇者とかダサいし…はっきり言って尊敬できないんですよね…」 その言葉を聞きレストロイカの眉がぴくりと動く。 生憎、その反応が彼の地雷を踏んだと教えてくれる優しい者はその場には存在していなかった。 若き皇帝は穏やかな笑みを浮かべて大臣へと告げる。 「マルーク、縄を切ってやれ」 「よろしいのですかな?」 「気が変わった、望み通り俺が教育してやろう」 それを聞いたラーバルの表情がぱあっと輝いた。 対し、レストロイカは一つ条件があると人差し指を立てて見せる。 「ただし俺と手合わせし一本でも入れられたらの話だ、見込みのない者に剣を教える気はない」 「なるほど…まずは私の剣技を見せてみろということですね!……ちなみに一本入れられなかったら?」 「お前には兵卒の訓練で十分だ」 自分を拘束していた縄を切られ自由になったラーバルは側に控えていたメイドから訓練用の剣を受け取る。 対してレストロイカも鋼魔法により刃を潰した剣を手元に生成、玉座から立ち上がった。 謁見の場で突如として始まった手合わせ、それに動揺することなくマルーク大臣は順応する。 この皇帝陛下が見かけによらず血の気が多いのはいつものことだ。 大臣が立会人を務める中、皇帝と王子は剣を手に向き合う。 「それでは………はじめ!!」 決着は一瞬だった。 「あ?…え…?」 何が起こったのかよくわからないまま、ラーバルは冷たい床の感触を頬で味わっている。 「おい…立てガキ、この程度か」 「なっ…なりませぬ陛下!!それ以上は国交問題!国交問題になりますぞ!!」 大臣の悲鳴じみた声が遠くで聞こえる中、ラーバルは死神に手招きされる幻覚を見ながらものの数秒で意識を手放していた。 * * * * * * *  翌朝… 「はい、というわけで今日から皆さんと一緒に訓練をすることになったラーバル君です!」 「ラーバル・ディ・レンハートです、よろしく…」 王家親衛隊の一人、ハッシュにより紹介されたラーバルは眼前の少年少女たちに挨拶する。 彼よりも年下の子供も多いその一団はサンク・マスグラード帝国軍訓練生団…正規軍人に昇格する前の兵卒の卵である。 一体何故このようなことになったのか…追憶に浸りかけたラーバルの脳裏に昨日の死神が過りかけ、慌てて現実に戻ってくる。 初めて間近で見る王族…訓練生たちの好奇の視線に居心地の悪さを感じながら、彼は教官に促されて整列に並んだ。 敵意の篭った一言が聞こえたのはその時だ。 「はっ…温室育ちのボンボンが…」 驚いたラーバルが目を向けた先、そこにいたのは同年代ほどの少女だった。 雪のように白い髪と白い肌、その左目に着けられた無骨な黒い眼帯が異質さを醸し出している…そんな容姿の娘である。 聞き捨てならぬ一言にラーバルは思わず言い返す。 「オレはこれまで一人で旅をしてきた、国を出たことのないだろう君に言われるのは心外だな」 「どうせ金に困らない王子サマの諸国漫遊だろ、それで一人旅とは笑わせる」 「なんだと…!?」 一触即発。 いきなり睨み合う二人に周囲が騒然とする中、ハッシュ教官がパンパンと大きく手を叩いて皆の注意を引く。 「はいはい!ジーニャもラーバル君もそこまで!その元気は訓練まで取っておきなさい!」 ジーニャと呼ばれた少女は小さく舌打ちし、教官に対して一礼して整列し直す。 一方でラーバルもまた、何故絡まれたのかいまいち釈然としないまま彼女の隣に並んだ。 平穏が戻ったことにハッシュ教官は満足そうに頷き、話を続ける。 「今日の第一訓練は持久走です!いつものように北の一本モミで折り返して帰ってくる!サボらず走るよーに!」 はーい!と訓練生たちが返事をする中、ラーバルは思案する。 一体どんな地獄の特訓が出てくるかと思いきや距離は普通、特殊な条件もない持久走だ、驚くほどでもない。 レンハートに広く伝わる基本技、内気功で肉体を強化すれば特に苦戦することもないだろう。そう思っていた。 そう思っていたのだが… 訓練開始から半刻ほど後。 「ぜぇ…はぁ…!く…くそっ…!」 ラーバルは隊列の最後尾…そこからさらに遅れて息も絶え絶えになっていた。 深い雪に足を取られる極悪路はそもそも走るどころではない、歩くのですらやっとの環境だ。 前を見れば訓練生たちはさも平坦な道かの如く目的地へ向けて進んでいく。 置いて行かれることに焦りを覚えるとさらに呼吸が乱れ、内気功による身体強化が解除されてしまう… そんな悪循環に陥っていた。 「どうしたラーバル君!折り返し地点まではまだまだ先だぞ!」 訓練生がはぐれないよう、最後方で一緒に走っていたハッシュが檄を飛ばす。 彼もまた、この走行環境でも平然としているどころか息一つ乱れてはいなかった。 「ぜぇ…ぜぇ…!帝国の兵士は化け物か…!?」 「こらこら!これはまだ体を温めるウォーミングアップだよ!」 「………訓練初参加者に配慮とかは…」 「ないよ!陛下には君を徹底的に鍛えるよう言われてるからね!さあ走った走った!」 そう言って朗らかに笑うハッシュ教官…今のラーバルにとって彼は地獄に追い立ててくる獄卒の鬼に見えた。 * * * * * * *  「さて!第二訓練は楽しい楽しい実戦訓練だ!」 なんとか持久走を走り切り、ほうほうの体で帰ってきたラーバルを待っていたのはまた地獄だった。 王家親衛隊の一人、セターが訓練場に姿を見せると休息していた訓練生たちが整列。遅れてラーバルもそこに加わる。 「じゃあ二人組作って!三本先取で、負けたやつは腕立て千回な!」 「えっ…ちょっ…」 訓練用の剣を二刀持ちし、カンカンと鳴らすセター教官。 訓練生たちがいそいそと近くの相手と組み始める中、出遅れたラーバルは特に親しい相手もいないため取り残されてしまう。 この形式で奇数人数なのはどうなんだ…あぶれて憤りを覚える彼に、教官はにんまりと笑う。 一瞬、訓練生たちがラーバルへと向けた同情的な視線に彼は気付くことはなかった。 「なんだラーバルあぶれちゃったのか!じゃあ先生と組もうな!」 「恣意的な何かを感じるんですが…」 「気のせい気のせい!これ、はい!」 手渡されたのは一本の鉢巻だ。 ラーバルは意図が分からず周りを見回すと訓練生たちは皆鉢巻で自らの目隠しをし始めていた。 まるで冗談のような光景に思わず教官へと問いかける。 「あの…実戦訓練ですよね…?」 「雪原戦闘はほぼ視界がゼロになることがザラだからな!視覚より感覚を鍛えるため目隠しして実戦訓練だ!」 「んな無茶苦茶な…スイカ割りじゃないんだから…」 「つべこべ言わずにさっさとやる!陛下にはお前をみっちり鍛えるよう言われてるぞ!」 鉢巻で自らの目を隠して急かしてくる教官、しぶしぶラーバルは彼女の行動に倣った。 目を隠せば当然のことながらまったく見えない…こんな状況でまともな実戦訓練などできるわけがない。 しかしそれは相手も同じこと…きっと互いに見当違いな動きをして訓練終了時間が来るだけだろう。 そんな甘い目論見は一瞬で崩れ去ることになる。 「では…訓練開始!」 遠くで訓練生たちが剣を交わす音が聞こえる中、ラーバルの間近に殺気が迫る。 咄嗟に身を守るべく剣を構えたが、全く別の方向から二刀が襲いかかってその背中を打ち据えた。 もんどりうって地面に倒れたラーバルにさらに正確無比な追撃が襲い掛かる。 「い゛ッ…!!」 「おっ!初めてにしては攻撃の気配は読めてるな!その調子だぞ!」 「ちょっ…ほ、本当に見えてないんですよね!?」 「見えてないけどこっちからは丸見えだ!まだまだいくぞー!」 その日、彼は闇夜に無数の猟犬に襲われるかのような生まれて初めての恐怖を味わうことになった。 * * * * * * *  「ひへへ…だ、第三訓練は魔法のお勉強です…」 ようやくまともそうな訓練が始まった… 王家親衛隊の一人、メリアを前にしてラーバルは安堵しすぎて感動すら覚えていた。 内容は訓練生それぞれの魔法適性に応じた自習のようなものだ。苦手な者は対魔道士戦研究を行い、得意な者は魔法の腕を磨く。 不本意ながら魔法には少々自信がある…そんな彼に教官が声をかける。 「ラーバル君は初めてですよね…よかったら得意な魔法を見せてくれませんか?」 「フッ…いいでしょう」 訓練生仲間にここまで情けないところを見せっぱなしだったラーバルは自尊心を回復する好機に内心ガッツポーズした。 皆がどんなものかと注目する中、訓練用の案山子を目標に魔力を集中…闇の魔法を練り上げる。 「我が身に宿る昏き闇よ、我に仇なす愚者を撃ち払わん……灼け、漆黒の焦閃!」 詠唱を終えるとラーバルの指先から黒い閃光が迸り、案山子を貫いて焼き焦がした。 この場でこのレベルの魔法を使う者はメリア教官以外いない…ド派手なパフォーマンスに訓練生たちは思わず感嘆の声を上げる。 さあ、称賛してくれ…チラリと教官の様子を伺ったラーバルだったが、彼女は困ったような曖昧な笑みを浮かべていた。 思っていた反応と違うことを訝しがる彼に、メリア教官はおずおずと言葉を発する。 「あの…この魔法って戦闘用ですよね…?相手に当たったことあります…?」 「うっ…!」 痛いところを突かれた。 指摘の通りこの魔法の命中率は非常に低い…実戦で敵に当たったことは皆無と言っていいレベルだ。 急に饒舌になったメリア教官は先ほどまでのおどおどした態度とは打って変わって冷徹にラーバルの魔法を分析する。 「魔力はいいですね、非常に高い素質を感じます…  しかし見た目重視の詠唱と術式構成が戦闘用としてはあまりに無駄が多い…  ショー用や的当てならともかく、戦闘中に動く相手を狙ってこの発動の遅さは致命的です  まずは無駄を省くこと、それから術式の簡略化、そうすれば速度と威力に磨きがかかるはず…  あとは発動が早くて軽い魔法を牽制にして組み合わせるとか工夫が必要ですね  素で撃っても当たってくれるのは不意打ちか、よっぽど油断している相手だけなんじゃないでしょうか  それから装備です…魔力を高めるロッドか魔導書にしませんか?  どうしても刀を使うと言うなら接近戦用の魔法が欲しいところですが、その才能はあなたには…」 「教官…」 ぶつぶつと独り言を言うように矢継ぎ早に指摘を叩き込み続けるメリア教官に、訓練生の一人が手を挙げて呼び止めた。 はっと顔を上げた彼女はあまりの精神的ダメージに地に倒れ伏しているラーバルの姿にようやく気付く。 「ひへぇ!?」 慌てて助け起こしたラーバルの虚な目から一滴の涙が落ち、ツーッと頬を伝った。 言いすぎた…パニクったメリア教官は必死に慰めの言葉を搾り出す。 「だだだ大丈夫ですよラーバル君!カッコつけるのやめて魔道士に専念すれば君はかなり強くなれます!刀を捨ててください!」 「教官、それ多分追い討ちしてます…」 さらに深く沈み込むラーバルを見、訓練生が呆れたように呟いた。 * * * * * * *  「皆今日もよく頑張った、第四訓練はいつもの狩りだぞー」 これが本日最後の訓練…王家親衛隊の一人、スヴェンがそう告げる。 一日の最後は野戦訓練を兼ねて狩猟を行い、その日の夕飯を獲得する…それが訓練生たちの一日である。 身も心もズタボロになり座り込むラーバルに、眼帯の少女…ジーニャが意地悪な笑みを浮かべて話しかけた。 「よう王子サマ、そんなフラフラで今から晩飯獲れるのかよ」 「…うるさい…話しかけるな…」 「はっ、今からでも食える野草の勉強でもしておくといいぜ」 「随分面倒見がいいじゃないか」 小馬鹿にして笑うジーニャの背後、いつの間にかスヴェン教官が立っていた。 ぎょっとしてたじろぐ彼女の肩をポンと叩いて教官はにっこりと微笑む。 「すっかり仲も良くなったようだしラーバル君に狩りの仕方を教えてあげなさい」 「な…なんであたしが…」 「分かったな、ジーニャ」 「………はい」 憎たらしい態度はどこへやら、眼帯の少女はすっかり借りてきた猫のようになる。 それから数分後…ツーマンセルで行動することになった二人は黙々と雪原を歩いていた。 狙いはツララツノジカ、初心者でも簡単に狩猟できて肉も美味い…訓練生にとってありがたい存在だ。 先を歩いていたジーニャがぶっきらぼうに声をかける。 「獲物はこっちで仕留める、邪魔すんなよ」 「あ、ああ…ならオレは何をすればいい?」 「王子サマは何か目立つことして鹿の目を引け、あいつら見慣れない物を見ると動きが止まる」 「…目立つことって何だ…?」 「さっきのピカピカ光る魔法とかでいいだろ、当たらなくてもいいから」 嫌っているのが伝わってくる割に、ジーニャは問いかければ律儀に答えを返してくれる。 意外と悪い奴ではないのかも知れない…そんな考えをラーバルは抱き始めていた。 成り行きとは言え一時のパートナー、仲良くしておくに損はないと考えた彼はさらに一歩踏み込んで距離を詰めることにした。 一つ咳払いして前々から思っていた話を振る。 「そのさ……眼帯、カッコいいよな…」 「あぁ?」 「あ、いや…病気とかだったら悪いんだけど…」 唐突なそんな会話にジーニャははっと鼻で笑う。 どこか達観した…先ほどまでとは違う年不相応な笑い方だった。 彼女は立ち止まらずに獲物を探して歩きながら、さらりとラーバルに答える。 「病気じゃねえよ…この目は自分で食ったんだ」 想定外の答えにラーバルは凍りつく。 目を食った…自分で…?彼女なりのジョークか比喩表現かと思ったが、到底そんな声色ではなかった。 混乱する彼にも振り返ることもなく、ジーニャは歩きながら話を続ける。 「陛下が即位する前、うちの村はクソ貴族の支配下にあってな…あたしらの命は気まぐれで殺されるその辺の虫と同じだった」 ラーバルの脳裏に皇帝レストロイカの悪臣粛清の話が過ぎる。 武勇伝としてしか語られない其れの下には、多くの人に知られないたくさんの悲劇がある。 ジーニャはまさにその悲劇の犠牲となった一人であった。 「店の前で犬の糞を踏んだから…それが理由で親父とお袋はあたしの目の前で殺された、たっぷり苦しめられた上でだ」 そう語る彼女の口調には怒りや悲しみの感情はない。 まるで機械のように無感情に、まるで天気の話をするように気安く、昔あったことをただただ話しているだけだ。 「で、あたしはまだ子供だったから許された…ただし条件付きでな」 そして、ジーニャは左目の眼帯に触れる。 その仕草に話の先を察したラーバルはぞわりと肌が粟立つ感覚を覚えた。 「“自分の目玉をくりぬいて食えば生かしてやる”……あたしはそれをやった、あの時の味は未だに舌で覚えてる…」 衝撃。 まるでハンマーで頭を殴られたかのようなショックにラーバルは思わずよろめいた。 カッコいいなどと軽々しく言うべきではなかった…そう後悔するほど彼女の過去は壮絶なものだった。 黙りこくる彼に、ジーニャは乾いた笑みを浮かべて続ける。 「この国の子供はそんな奴らばっかりさ、他の訓練生の連中も境遇は似たようなもんだ」 「そ…んな……オレより小さい子もいたのに…」 「恵まれてんだよ、あんたはな…あたしらとは何もかもが違う」 そう言って背を向けて歩き出した彼女との間にはクレバスのように大きく深い溝があるようにラーバルは感じる。 この国の子供たちは格好など気にしていられない。ただただ日々生きるのに必死なのだ。 遡ってレストロイカに謁見した時のことを思い出し、ラーバルは強く恥じた。自分はこの国に対しあまりに無知だった。 「なあ…」 「チッ!」 声をかけようとして舌打ちが返される。 それはラーバルに向けられたものではない。その時突然発生した地響きへ向けてのものだ。 何が起こったのかわからないラーバルに対し、ジーニャが焦った声色で叫ぶ。 「どっかのバカがギガノマンモスに手を出しやがった!」 「な…何!?それは…どうなるんだ!?」 「走れ!崖が近いこの辺は崩れるぞ!」 言うが早いか、ジーニャは元来た道を全力疾走で駆け出していく。 慌ててラーバルもそれに着いて走り出した。彼女のこの慌てぶりは尋常ではない。 しかしそんな抵抗も虚しく…やがて二人を崖の崩落が飲み込んだ。 * * * * * * *  天地が逆転する感覚の中、薄暗い闇の中でラーバルは覚醒する。 「あれ…?生き……てる……?」 崖底に落ちたがどうやら深い雪がクッションとなったようだ。 奇跡的に五体満足、痛めた箇所もない幸運にラーバルは思わず神に感謝した。 「よぉ…生きてたか王子サマ」 近くでジーニャの声がした。 ホッと胸を撫で下ろしたラーバルは、次第に暗闇に目が慣れ姿が見えると表情を曇らせる。 彼女は右足首を押さえ、苦しげに表情を歪めて蹲っていた。 「お前…足を…」 「ああ、落ちた時にやっちまった」 「すぐに助けを呼ぶ!救難灯炊くから待ってろ!」 「無駄だ、どうせ発見された時には死んでる」 なんでそんな簡単に諦めるんだ! 憤慨してジーニャの方を向いたラーバルは、彼女の視線が別の方向を向いていることに気付く。 その視線の先に目を向けると…ゆっくりと金属音を響かせて歩いてくる人影があった。 否、人影というには語弊がある…その影には首から上がない。 「アン…デッド…!?」 「『忠死の騎士』…ここら一帯で出る恐ろしく強い魔物だ、こいつらの領域に入っちまった」 首なし騎士は獲物を見つけるとゆっくりと抜剣した。 思わず身構えるラーバルを、ジーニャが制止する。 「あんたは逃げろ、あたしが殺されてる間なら十分隙はあるだろ」 「バカ言うな!そんなことができるか!」 「このままじゃ二人とも死ぬんだよ!わかってんだろ!」 わかっている。忠死の騎士は今のラーバルよりも遥かに強い。 おそらくジーニャの言う通りにすれば助かるだろう…全力で逃げればきっと教官たちが助けてくれる。 しかし確実に彼女は助からない。ここまで必死に生き延びてきた彼女の命は吹き消える。 それを見過ごすという選択肢は、ラーバル・ディ・レンハートには存在しなかった。 「侮るなよ…オレだってレンハートの王族だ!」 この言葉で勇気を奮い立たせ、刀を抜く。 対する首のないアンデッドは鎧を小さく震わせ、どこかせせら笑ったような気がした。 そして戦闘が開始される。互いに間合いを測りながらラーバルは思考を巡らせる。 おそらく剣術でこの敵と戦えば命はない。ならば… 「来るぞ、王子サマ!」 ジーニャが警戒を叫ぶ中、首なし騎士が剣を振りかぶって猛然と迫る。 ラーバルはその一撃を刀で受けると見せかけ…刀を捨てて後方に跳躍、既に掌に魔力を練り上げていた。 詠唱かなり省略、これで決まってくれと半ば祈りながら全力で魔法を解き放つ。 「灼け、黒き焦閃!」 黒い閃光が迸り、轟音が崖下に響く。 実戦であの魔法が直撃した…ラーバルはもうもうと上がる雪煙にしっかりとした手応えを感じる。 ありがとうメリア教官…沢山酷いことを言われたがあなたは正しかった… 感慨に浸っているところ、後ろからジーニャの罵声が響く。 「バカ王子!油断するな!」 「はっ!?」 雪煙を突き抜けて首なし鎧が飛び出し、赤い剣が閃く。 絶命剣…そう名付けられた恐ろしき剣技は咄嗟に回避したラーバルの左腕を掠めて血飛沫で雪を赤く染めた。 魔法は直撃したはず…傷の痛みに顔を歪めながら彼は僅かに煙を放つ敵の剣に注目する。 手応えはあったが敵はノーダメージ、つまりその答えは… 「剣で受けられた…!?」 並のアンデッド剣士ではあり得ない達人芸に驚愕するラーバルに首なし騎士は余裕綽々といった立ち振る舞いで接近。 刀を捨てて丸腰の獲物に対し、敢えて避けられる速度の突きを連続で放ちながら追い詰めていく。 少しずつ血肉をこそぎ取っていく刺突の嵐…一突きごとに衣服を切り裂き、ラーバルの身には傷が増えていく。 「こいつ…アンデッドなのに遊んでいるのか…!」 「もういい!逃げろ王子サマ!」 あからさまに嬲るような忠死の騎士の戦い方は本能的に動く本来のアンデッドから大きく逸脱している。 ジーニャの悲鳴じみた声が聞こえる中、ラーバルは回避に専念しながら思考回路をフル回転させる。 相手が遊んでいるということは付け入る隙がある。今までの経験に何か状況を打開する光明が必ずあるはずだ。 まるで走馬灯のようにここまでの経験を早回しで振り返り続けたその時、一つの作戦が脳裏に浮かび上がる。 (発動が早くて軽い魔法を牽制にして…組み合わせる…) メリア教官の言葉にヒントはあった。 油断してる敵に牽制で動きを止め、今度こそ全魔力をもって一撃で仕留める。それしかない。 その牽制とする魔法は勇者たちとの戦いを思い出し既に思いついていた…ただ… (ダサいんだよな…) 頭のどこかにいる冷静な自分が拒否感を示す。 彼にとってイメージが非常に悪く、決して格好良いとは言えない魔法。 だが今は格好を気にしている場合ではない…後ろには守らなければならない人がいる。ならばそんなものは些細な問題だ。 (そうか…父上もきっとこんな気持ちで…) 心中で独りごちるラーバルを前に、遊び飽きた忠死の騎士が大きく剣を振りかぶった。 敵の防御を無視し致命の一撃を与える絶命剣…それで一気にケリをつけるつもりだ。 しかし、その大きなモーションにこそ最大の勝機がある。 早くて軽い、牽制の魔法…! 「“転べ”!!」 地面を小さな影が奔り、騎士の足元を払った。 転倒魔法…勇者パーティの胡散臭い魔術師が使う、何度もラーバルに辛酸を舐めさせてきた魔法である。 予想だにしない術に大きくバランスを崩し、激しく転倒する騎士鎧…ラーバルは全力で駆けてその上に馬乗りとなる。 ゼロ距離、残り全ての魔力を叩き込む。これで仕留め切れなかったらもうお手上げだ。 「黒…焦閃!!」 再び、閃光が谷底に奔り雪煙が舞い上がった。 ジーニャは目をすがめ、戦いの行方を確認すべく僅かに動く身を捩る。 僅かに晴れた煙の向こう…ラーバルと思しき姿がぐらりとよろめいて雪に倒れ込んだ。 「王子サマ!?」 「あー……くそっ……」 雪の上に大の字に倒れ込んだラーバルは、思わず毒づく。 全身ズタボロ、魔力は空っぽ、余裕なんて一切ない戦いだった。彼の理想とするスマートさはそこには一切ない。 倒れ込んだラーバルの隣…全身が焼け焦げた騎士鎧がシュウシュウと煙を放ち、やがて灰となって崩れ落ちた。 見届けたジーニャは唖然として呟く。 「マジかよ…忠死の騎士に勝っちまった…」 「…フ…我が力の前には造作もない…」 ジーニャの手前、なんとか立ち上がったラーバルは前髪をかきあげ余裕ぶって見せた。 その膝は遅れてやってきた恐怖と全力を出し尽くした疲労感でガクガクと震えている。 それを見た彼女は思わずプッと吹き出す。先までの意地悪な笑いでも、達観した乾いた笑いでもない、年相応の笑いだった。 そんな彼女の様子にラーバルは憮然として口を尖らせる。 「何も笑うことはないだろ…」 「悪い悪い…お前、格好いいぜ」 「はぁ?これのどこが…」 和やかな時間は長くは続かなかった。 谷底に響く行軍の音…多数の金属鎧が擦れる音に、二人は表情を強張らせる。 薄暗い闇の中から姿を現したのは、新たな忠死の騎士の一隊…激しい戦闘は彼らをも呼び寄せてしまったのだ。 今度こそ成す術がない…一人倒すのですらやっとの相手に体力も魔力もゼロに近い状況で打つ手立ては最早何もなかった。 「本当、ダッサいよな…」 絶望を通り越した諦めの境地に、ラーバルは自嘲気味に笑う。 生き残るため、なりふり構わず戦ったがその甲斐もなし。 彼は観念して天を仰ぎ…ーーー 「いいや、そんなことはない…よく戦った、ラーバル・ディ・レンハート」 突然、崖の上から人影が舞い降りてきた。 二人を庇うように立ったその人物の後ろ姿に、ラーバルはまったく似ていないのに父の背中を想起する。 血錆に塗れた剣を携えた青年…皇帝レストロイカは無数の首なし騎士を眼前にして軽く笑った。 「陛下…どうしてここに…」 「あれだけ派手な魔法を何度も使えば遭難していようが嫌でも居場所がわかる」 「いや…そうじゃなくて…」 「そりゃ陛下は今日一日ずっと君のことを案じて訓練を見守ってたからね」 呆然と問いかけるラーバルに答えたのはまた別人だった。 レストロイカに続いて四つの人影が崖下に舞い降り、それぞれ武器を構える。 その正体は四人の教官たち…王家親衛隊『魔人部隊』である。 「こそこそ影に隠れてずっと見守ってるから訓練やりにくいったらなかったぞ!」 「ひへへ…く、口では厳しいこと言っても優しいんですよね陛下は…」 「二人が遭難したと聞いた時の狼狽っぷりも凄かったですなぁ」 「お前たち…余計なことは言わなくていい」 口々にネタバラシする親衛隊たちを咳払いして制しながらレストロイカは血錆の処刑剣を抜く。 そして悠然と歩き、それぞれに剣を構え殺気立った忠死の騎士たちの間合いへと入る。 次の瞬間、火花が弾けるように戦闘が開始した。 「さてラーバル…お前は俺の剣が知りたいのであったな」 襲いかかる首なし騎士を二人同時に斬り伏せて血錆の華へと変えながら、レストロイカは言葉を続ける。 「頑張った褒美だ、存分に披露してやるぞ」 そこにいた忠死の騎士全員が若き皇帝とその親衛隊によって物言わぬ残骸に変わるまで十分も必要としなかった。 * * * * * * *  さらに翌朝。 ミイラ男のごとく全身を包帯でぐるぐる巻きされたラーバルは謁見の場を訪れていた。 彼は玉座に座る皇帝レストロイカに跪き、先日の非礼を詫びる。 「先日は申し訳ありませんでした、陛下…私は何も分かっちゃいなかった…」 「たった一日で随分と成長したようだな、見違えたぞ」 言葉を返すレストロイカの表情はどこか穏やかで優しい。 第一印象とのあまりの違いにラーバルは驚くが、本来はこちらが皇帝陛下の素の顔なのだろう。 彼は少々照れながら続ける。 「その…父上の気持ちが少しだけ…ほんの少しだけ分かった気がします」 「そうか、それは何よりだ」 何かを守るためならどれだけ泥に塗れようとも、どれだけ不格好でもいい。 そのなりふり構わない必死さの先に真のカッコよさというものが生まれるのだろう。 そう思うと、今は無性に父に会いたくなってきた。 ラーバルは顔を上げて爽やかに笑う。 「レンハートに帰ります、父とよく話してみたくなりました」 「ん…?」 「え…?」 急転直下。 訝しげな声を出した皇帝に、ラーバルは目を瞬かせる。 自分は何かおかしいことを言っただろうか…そんなことを考えるラーバルに、レストロイカは無情に宣告する。 「たった一日訓練しただけで強くなれるはずがないだろう、短くとも一月は兵卒の訓練を受けてもらうぞ」 「ひ…一月!?」 「ちゃんとお前の父上からも承認を受けているからな」 ほれ、と皇帝が差し出した書簡。 そこには『存分にラーバルを鍛えてやってくれ、レス坊』とあまり丁寧とは言えない文字で書かれ、レンハート王家紋が押印されていた。 あまりにフランクではあるがまごうことなき公文書である。 その瞬間、ラーバルの中に芽生えかけていた尊敬の気持ちは消し飛んだ。 「あのクソ父上…!!」 「というわけだ、しばらくはこの国で訓練生としてゆっくりしていくといい」 レストロイカがパンパンと手を鳴らすと謁見の間の扉が開き、四人の教官とジーニャが入室する。 その五人の表情は…不気味なほどににこやかであった。 「さあ!今日の訓練の時間だよ!病み上がりこそ元気に行こう!」 「気配読みも完全に習得させてやるからな!これができたらカッコいいぞ!」 「ひへへへ…訓練期間終わるまでに強力な魔法開発しましょうねぇ…」 「自分狩って自分で作るジビエ料理はうまいぞ、今日こそ味わえるように頑張ろうな」 「昨日のデカい借りを返さねえとな…しばらくよろしく頼むぜ、『ラーバル』」 対するラーバルの表情が恐怖に引き攣った。 颯爽と踵を返し、逃走しようとするその首根っこをハッシュの大きな手ががっしと捕まえる。 皇帝レストロイカが合図すると彼らはラーバルを引きずりながら訓練場へと向かって歩き出す。 「い、嫌だーーーーっ!!レンハートに返してくれーーーーっ!!」 珍しくよく晴れたサンク・マスグラード帝国の朝…ラーバルの悲痛な悲鳴が響き渡った。