「‥‥マスターは酷い人だよね」 うちのカードの精霊、セアミンの口癖はいつもこれだった。 一緒に食事を食べた後、出かけた後の帰り道、ふとした時に、決まって彼女はそう言うのだ。 その言葉には、いつもどこか寂しそうなニュアンスが含まれていたように思う。 どうしてそんな事を言うのかと尋ねても、彼女はいつも曖昧に微笑みながら、 「内緒‥‥考えてみて」 と言うだけだった。 一番最初、まだ俺が小さかった頃、彼女と出会ったばかりの時は違った気がする。 もっとこう、屈託のない笑顔で‥‥いや、あの頃から無表情ではあったけれど。 もっと楽しそうな雰囲気を纏っていたような覚えがある。 それがいつの間にか、今のようになってしまった。 その理由も、彼女が時折見せる表情の意味も、全く分からなかった。 ただ、きっと彼女にあんな顔をさせてしまうような何かを、知らず知らずのうちに俺はしてしまったのだろう。 でもそれがなんなのか、未だに分からないままだった。 「‥‥本当に酷い人」 プイとそっぽを向いてしまった彼女の顔からは、やはり何も読み取る事は出来なかった。 そして、ずっといて気が付いた事もある。 彼女がそう言う時は、どちらかと言えば機嫌が良い方なのだという事に。 本当に機嫌が悪い時には、ジッとこちらを責めるような目で見つめてくるからだ。 「ばか、あほ、まぬけ」 ‥‥こんな風に。 今回彼女の機嫌を損ねてしまった理由は、自分でもよく分かっていた。 一緒に出掛ける予定が、急にトラブルが起きた友人のサポートを行う為、行けなくなってしまったから。 「‥‥いいよ、私は大丈夫だから。」 なんて強がりを言いながらも、やっぱり少しだけ残念そうだった。 「ほら、じゃあ次の休み、空けておくから。それで良い?」 「‥‥約束だよ?絶対忘れないでね」 「今日みたいにどうしようもないから破った事はあるけど、忘れた事は無いから‥‥」 「それって結局破っているんじゃん」 「ぐっ‥‥」 痛い所を突かれて、思わず言葉に詰まる。 「うん、でも良いよ?楽しみにしてるからさ」 「ああ、必ず埋め合わせはするから‥‥」 「はいはい、期待しないで待っとくよー、優しいからだってのは分かってるからさ」 纏っている空気が明るくなり、許して貰えたらしい事が分かり、 どうにかこうにか機嫌を直して貰うことに成功した俺は、ほっと胸を撫で下ろしていた。 当日の休みは、トラブルも無く約束通り彼女と出掛けることが出来た。 「それで、お友達の問題はどうにかなったの?」 「おかげさまでね、なんとか片付いたよ」 何だかんだで、こうして他人の事にも気を遣えるのは彼女の良いところだと思う。 「水族館‥‥楽しみ‥‥!」 子供のように目を輝かせている彼女を見ていると、なんだかこっちまで嬉しくなって来る。 それからは他愛の無い話をしながら、歩いて向かう。 近場の人しか行かないような所だけれども、俺とセアミンは昔から何度もここに来ていて、思い出の場所でもあった。 「ここはいつ来ても変わらないな」 「‥‥うん、そうだね」 ゆっくりとした足取りで館内を巡る。 深海魚が展示されているコーナー、目玉の円柱水槽の中を泳ぐ魚を見て興奮している彼女。 その景色は、昔からずっと変わらなくて。 少しノスタルジーを感じられるくらいには、俺にとっても懐かしい場所になっていた。 「マスター‥‥さっきマスターはいつ来ても変わらない、って言ってるけど‥‥私にとっては、結構変わってるんだよ?」 「え‥‥そうかな?昔とあんまり変わってないように思えるんだけど‥‥」 「‥‥全然違うよ、もう」 楽しそうなのに、どこか寂しげな彼女の横顔を見て、どこか心がざわつくのを感じた。 そうして、ペンギンを見たり、アシカショーを眺めたりして、あっという間に時間は過ぎて行った。 「ねえ、私今、とっても楽しいよ」 「セアミンはここ、好きだもんな」 野外コーナーで一緒に歩いていると、日が沈んできて、水面に反射してキラキラと光り始めた。 「こうしてマスターと居るの、とっても幸せで、楽しくて‥‥」 そう言う彼女は、本当に楽しそうで。 ずっと見ていたくなるような、そんな姿だった。 けれど、それと同時に、何処か切なそうな表情をしているように思えてならなかった。 「うん、やっぱり‥‥マスターは酷い人だよね」 きっとそれは、彼女の気持ちを分かってあげられていないからなのだろう。 「‥‥そろそろ帰ろうか」 「うん、そうしよっか」 名残惜しそうにしながらも、お互いに手を繋いで帰る。 お土産のぬいぐるみを片手に、上機嫌な彼女。 そんな彼女を見られるだけで、俺は幸せだった。 「また来ような」 俺はそう言い、彼女の手を握る力を強める。 すると彼女は、ぎゅっと握り返してくれて。 「うん、絶対‥‥だよ?」 こんな時間がずっと続けばいい。 そう思いながら、家に帰って来た。 上機嫌にぬいぐるみを飾るセアミンと、並んだぬいぐるみを見て、何回もあそこに行ったんだな、としみじみと感じた。 それと同時に、ずっと一緒に居るのに、今の彼女が抱えてる何かに気が付けない自分の鈍感さが嫌になる。 その日の夜、 寝ていると何か、温かい物が顔に掛かっているのに気が付いた。 何だろうと思い、目を開けると目の前に誰かの顔があった。 「‥‥?」 セアミンが、涙を流しながらこちらの顔を覗き込んでいて。 「‥‥っ!?」 俺が目を覚ました事に気付いた彼女が、飛びのいて距離を取る。 「‥‥ごめん、起こしちゃった?」 「いや‥‥どうしたの?」 「ううん、何でもないよ‥‥うん、なんでも」 そう言った彼女の目は、赤く腫れ上がっていた。 「そんな事言わないでくれよ、心配だよ」 「‥‥うん、分かった‥‥ずっと秘密にしてたけど、でも‥‥心配させちゃうなら、言おうと思う」 そう言って、こちらをジッと見つめてくる。 その視線から感じる圧力に、思わず身構えてしまう。 そして、覚悟を決めたのか、口を開いた。 「私、精霊だから‥‥ずっと変わらないでしょ?」 「‥‥?そうだな」 それがどうしたと言うのだろうか。 突然何を言っているんだろう。 俺は不思議に思った。 「ね、ちっちゃい頃の約束、覚えてる?」 小さい頃。 確かに約束をした事がある。 その時の約束は、確か‥‥ 「大きくなったら結婚しよう、なんて口約束。でもね、私にとっては、とっても大事な約束だったの‥‥マスターが忘れてても、私が約束を覚えてれば、いつか叶うって思ってた‥‥けど、私は精霊だから、ずっとずっと、この姿のまま」 そこで、ようやく俺は理解した。 「叶わない望みを、ずっと抱いていたままでいるしかないんだって。マスターと一緒にいて、幸せだって思っても、マスターが大きくなってる事に気が付いて、背だってどんどん差が付いて、私とマスターが違うんだって自覚させられて‥‥」 そうして、俺の事をジッと見つめてきた。 「精霊と人間だから、無理だって思ってたけど‥‥私が大きくなって、あの時の約束だって言えば、マスターはきっと受け入れてくれる‥‥そう思うしかなくて‥‥っ」 涙をぼろぼろと零しながら、彼女は続けた。 そう言う彼女の瞳からは涙が流れていて。 何となく、彼女の事を調べた時に、こんな話を聞いた事があるな、と頭に過った。 「‥‥もう、良いよ。全部話したら、少しだけすっきりしちゃった。言っちゃったらこんな物。つまらないでしょ?」 そう言う彼女の顔は、どこか諦めてしまったような笑顔で。 確か、あれは悲劇で終わったけれど。 「ちょっと、待って‥‥その約束、さ‥‥大切な部分が抜けてる、って言ったら‥‥今更だけど、遅いかな?」 「‥‥え?」 きょとんとした表情で、俺を見つめる彼女。 その様子は、さっきまでの暗い雰囲気とは違って、いつものような顔つきに戻っていた。 俺は、そんな彼女に近付いていく。 少し怯えているように見えるけれど、構わず距離を詰める。 「その、さ‥‥大きくなったら結婚しよう、っていう約束なんだけど‥‥」 「‥‥うん」 「大きくなったら‥‥っての、俺が、大きくなったら‥‥じゃ、駄目かな?」 「‥‥それって」 彼女は、信じられないものを見るような目で見つめて来た。 「‥‥本当?」 そう言って、ぎゅっと抱き着いてきて。 「ああ、嘘じゃないよ」 「私、諦めないで良いの?」 「勿論」 「えへへ、そっか‥‥嬉しいなぁ」 今まで一度も見た事が無かった、満面の笑みを彼女は浮かべていた。 「そういえば、何で教えてくれなかったんだ?」 「ん、だって‥‥ちょっと違うけど、秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず‥‥でしょ?」 「‥‥そうだったな」 その言葉も、彼女を調べて詳しく知ろうとして、知った言葉だった。 「私の言葉の意味を、マスターが考えて‥‥そうすれば、私の事をもっと深く知りたい、なんて思ってくれるかな‥‥なんて」 彼女は照れくさそうに言う。 確かに、俺は女の事を知りたいと、思わされていた事に、今気が付いた。 「‥‥大分前から手玉に取られてたんだな‥‥もう、セアミンは酷いな」 いつものお返し、と言わんばかりに俺はそう返し、二人で笑い合った。